エッセー
イスラーム文化との接近遭遇(その6)
「神の前の平等」は真実なのか ~機会の平等 / 結果の平等をめぐって~
はじめに
イスラーム*1における平等とは機 会の平等を目指しているのであろう か。それとも、かつての毛沢東の下の 中国のように、結果の平等を目指して いるのであろうか。社会の究極の目標 である平等という目標が結果なのか機 会なのかでは、その社会制度の設計に 大きな違いが出てくる*2。
21世紀の世界を覆っているグロー バリズムは、さしずめ機会の平等に 基づき、その機会をつかみ、その競 争に勝ち、その結果他人と差ができ ても、それは平等の原則から外れな いとするものであろう。いま、日本 でも問題になっている「格差」の問 題において、弱者や敗者を救わなけ ればならないとする人たちと、結果 まで責任を持つ必要はないとする人 たちに二分される。また、結果は受 け入れるが、敗者や弱者の最低限の 生活の権利は守る必要があるとする 人たちもいる。
さて、イスラームではこの問題を どう考えているのであろうか。イス ラームという宗教、そして、イスラー ム諸国の政治・経済・社会体制、イ スラーム諸国のなかの企業の考え方、
イスラーム教徒の現代の一般の人々 の考え方はどのようになっているの だろうか。
イスラームでは平等をど う考えているのか
言わずと知れたことであるが、イス ラーム教徒が信仰する唯一神、アッ ラーの下ではすべての人々が平等であ る。ユダヤ教やキリスト教と並んで、
3大啓典宗教の一つであるイスラーム は、預言者、ムハンマドがアッラーの 啓示を受け、その内容を記したものが クルアーン(一般的には聖典「コーラ ン」)であると言われている。ムハン マドでさえアッラーの前では普通の人 たちと同格である。だから、キリスト 教にいるようなお坊さんは存在しな い。ウラマー*3はお坊さんではなく て学者である。イランなどで見られる シーア派は、お坊さんが国を治めてい るではないかという人もあるが、シー ア派には少数派としての歴史があり、
4代カリフのアリーを最高指導者とし て仰ぎ、隠れイマーム*4の再来まで イスラームを修めた最高のウラマーが 祭政一致のイスラーム国家を指導する というもので、「ヴェラーヤテファギー フ(イスラーム法学者の統治)論」と 呼ばれる独特の宗教・統治理論で運営 されている。
しかし、イスラームの大半であるス ンニー派ではウラマーの下での宗教的 ヒエラルキーはない。アッラーの前で は絶対平等である。だからして、最後 の審判までは喜捨は推薦されるが、免
罪符も教会への寄進も神への貢献には ならない。アッラーが帳簿をつけてお り、この帳簿によって、天国か地獄に 行くことになる。水辺で絶世の美女に かしずかれて、おいしい料理を堪能で きるか、煉れんごく獄の苦しみを受けるかは全 くアッラーのおぼしめし次第である。
美女にかしずかれてなどと書くと、
イスラームでは女性を男性よりも劣位 に置いているの? なんて思われる方 があるかもしれない。しかし、それで は平等の意味が薄れてくる。そんなこ とはない。男女とも祖先はアーダム
(発音に忠実に表記した)1人であり、
また彼らの母親はハウワー(イブ)で あると説いたそうである。アッラーは クルアーンで、「人々よ、われは一人 の男と一人の女からあなた方を創つくり、
種族と部族に分けた。これはあなた方 を互いに知り合うようにさせるためで ある。アッラーの御おんもと許で最も貴たっとい者 は、あなた方の中うち最も主を畏おそれる者で
*1:一般には「イスラム」と表記されることが多いが、アラビア語発音に近い「イスラーム」と表記することにした。広義のイスラームの指すものはイス ラーム教のみならず信仰と社会生活のすべての側面を規定する文明の体系であると定義するものもある(蒲生礼一著『イスラーム』岩波新書より)。
*2:一般には、誰にでも機会(チャンス)は平等に与えられるべきであるが、その結果(成果)にまでは関知しないという考えが「機会の平等」。これに 対し、機会は不平等であっても、誰にでも結果は等しく与えられるべきであるという考えが「結果の平等」と言われている。
*3:イスラーム諸学を修得した知識人のこと。より厳密には、ウラマーとは法学の専門家を意味する言葉である(平凡社『中央ユーラシアを知る辞典』よ り抜粋)。
*4:隠れイマームとは、イマーム(指導者)は死ぬことはなく隠れており、いつか再臨する(この世に再び現れる)いう思想。
ショッピングアーケードを散策 写1 する人々
出所:サウジアラビア大使館HP
*5:イスラーム教徒の女性をムスリマ、男性をムスリムと呼ぶが、ここでは、分かりやすいように「ムスリマ女性」、「ムスリム男性」とした。
*6:(1881~1938年)。トルコ共和国の創立者。初代大統領(1923~1938年)。第一次大戦後、セーブル条約を拒否して兵を挙げ、ギリシャ軍を撃退。大国 民議会を開設し帝政を打倒。トルコの近代化に努め、アタチュルク(父なるトルコ人)の称号を受けた(三省堂『大辞林 第二版』より)。
ある(アルフジュラート章13節)」とか、
「誰でも正しい行いに励む者は、男で も女でも信仰に堅固な者。彼らは楽園 に入り、少しも不当に扱われない(ア ンニサー章124節)」と書かれており、
男女の平等をその誕生と報奨において 平等にしているからである。
イスラームにおける結婚を見ても、
宗教関係者の同席も求められず、男女 双方の相互理解の行為であって、2人 の証人の同席のもと結婚契約書に書 いてある義務を相互に受け入れるだ けでいい。ただし、ムスリマ女性*5 はムスリム男性以外と結婚すること はできない。一方、ムスリム男性はム スリマ女性または啓典の民の女性以 外とは結婚することはできない。
イスラームでは、後見人は花嫁本人 の意思を確認することになっている。
他の宗教やアジアやアフリカの因習 が根強い地域では、花嫁の意思なぞに お構いなく親や後見人が婚姻を決め ることは現在でもあるのに、イスラー ムでは原初からこのように女性の意 思を確認すると決めている。しかし、
一般には、顔や体の見える部分をベー ル、スカーフや手袋で隠しているイス ラーム女性を見慣れていると、女性の 権利を剥はくだつ奪していると見る見方が本 質的なイスラームの平等観を阻害し ているのが現実だ。
なぜイスラーム女性がスカーフや ベールをかぶるのか。一説には「男性 の理性は性欲に打ち勝てないかもし れないとの前提を立て、弱い男性の理 性を崩壊させないように女性は肌や 髪を隠す」との理由があるらしい。現 代では、なかなか認められる理由では ないかもしれないが、歴史的時代を考 えれば納得できる。
イスラームの男女が結婚した場合、
クルアーンでは「女は公平な状態の下
に、彼に対して対等の権利を持つ。だ が、男は女よりも一段上位にある(ア ルバカラ章228節)」として、権利は男 女対等であるが、一段上位であるとし ている。これには、理由がある。「男は 女の擁護者(家長)である。それがアッ ラーが一方を他よりも強くなされ、彼 らが自分の財産から扶養するため、経 費を出すためである(アンニサー章34 節)」というわけだ。体力面や妊娠な ど弱い立場に陥りやすい女性を男性が 扶養し、安らぎを与えられるようにこ のように書いてあるというのだ。
なぜ4人の妻を娶めとることをムスリム は認められているのかについても、戦 争や略奪、キャラバンなどの長旅で男 性が死亡することが多かった往時の 風習で、強く経済力のある男性は未亡 人や相手のいない女性を4人まで妻に できるとしたと言われている。もち ろん、すべての妻に同じ待遇と愛情を 注がなければならないので、男性に とって並大抵のことではない。現代 のクウェートやサウジアラビアでは、
王族や大金持ちでも複数の妻を持っ ている人たちは少なくなっていると のことであるが、石油会社の職位が下 位の従業員や、ベドウィン生活をして いるものなどには複数の妻を持って いる人たちもまだいるとのことだ。
筆者の事務所の運転手は自分の娘よ り若い女性を3番目の妻として迎えた ことがあった。現代においては、よほ どの理由のない限り平等の原則から は外れる風習だと考えざるを得ない。
会社の創立記念の大きなパーティー を会社のホールで開いたときなど、入 り口から見て正面の一番いい席には、
われわれ日本人から見ると所長やア ミールなどの会社のVIPやゲストが座 ると思いがちであるが、準備の段階で 席次表をつくって、ソファーに名札で
もつけておかない限り、従業員は職位 の高さに関係なくどんどんいい席を 取っていく。アミールや所長の隣が門 番のおじさんだったりなどということ が頻繁に起こるのに遭遇すると、アッ ラーの前ではすべての人が平等である ということが本当に浸透しているのだ な、と実感させられたものだ。こんな 生活体験をいろいろな場所で経験する ことがあるのが、イスラーム社会なの だ。極めて単純にまとめれば、神が主 権を持っており、そのアッラーの下に すべての人間が平等であると考えられ ているのがイスラーム流の考え方と言 える。
イ スラーム諸国の政治・
社会体制では平等をどう 扱っているか
ムスリムによるいわゆるイスラーム 諸国は、世俗化の進んでいる国といま だイスラームを政治の中心においてい る国があり、その政治のなかの平等を こういうふうになっていると一刀両断 に論ずることは極めて難しい。トルコ 共和国の建国の父と言われているケマ ル・パシャ・アタチュルク*6(写3)は、
国づくりの根本を宗教と政治の分離に
聖地マッカのハラム・モスクに おけるイシャーの礼拝の様子 写2
出所:アラブイスラム学院
置き、憲法に政治とイスラームの分離 を厳格に明示した。アラビア文字も廃 止して、アルファベットでトルコ語を 記述させた。公的機関での宗教的慣習 を禁止し、現在のトルコで政治問題化 している女性の公的機関でのスカーフ 着用の禁止など禁止事項は詳細にわた る。ケマルの忠実な支持母体である国 軍がこの教えを忠実に今日まで守って いる。しかし、トルコの政党の一つ、
イ ス ラ ー ム 政 党 で あ る 公 正 発 展 党
(AKP)などが選挙で多数を取って、
内閣をつくり、スカーフ着用の自由な どを手がかりにイスラーム的慣習の政 治や教育などの公的な場面での許容を 目指して保守派(トルコの場合は世俗 派)と対立する状況になっている。
トルコのEU加盟を推進したい所得 の多い世俗派と、ケマルの教えに忠実 な国軍は、数で勝る一般民衆に支持基 盤を置き、政治にイスラームを復興さ せてトルコ政治の実権をつかみたい中 間層と低所得者層を背景にしたイス
ラーム政党とせめぎ合いを続けてい る。しかし、トルコ政治では、選挙に よる多数決が民意を決める。国軍によ るクーデターはあるが、選挙制度など の民主主義が制度として根付いてい る。
一方、世俗国家の代表といわれる エジプトも、強力な権力を持つ大統 領制とほとんどが与党の議会を持っ ている。専制的な政治といわれるが、
民主主義的制度は存在する。今回は エジプト政治には詳しくは触れない が、イスラエルと和平した最初のム スリム国家ということからも、世俗 化した政策をとっていることはうか がえる。しかし、イスラーム多数派 のスンニー派総本山であるアズハル とアズハル大学を抱え、アラビア語 教師の多数を湾岸諸国をはじめ各国 に 輸 出 し て い る 。 国 民 の 生 活 も 約 10%のコプト教徒を除いて、イスラー ムにのっとって行われている。しか し、いわゆるイスラーム原理主義政 党の大本もエジプトに発生し、
イスラームが行き届かない現在 の世界をジャーヒリーヤ*7と定 義し、世俗の法をアッラーの法で あるシャリーアとは全く違うもの と認識して、現在の世俗化した体 制を身の回りから、さらに世界に おいてもシャリーアの支配するイ スラームに急激に変えようとする イスラーム原理主義を信奉する結 社や政党(非合法のムスリム同胞 団など)が存在する。
その原理主義政党や結社も考え 方に幅があり、ムスリム同胞団の ような歴史のあるものから、その なかの考え方をさらに極端に進 め、ジハードの対象を世界中の反 イスラーム勢力まで広げたジハー ド団まで存在するようになってい
る。世俗化と原理主義の振り子の振幅 が大きい国とどちらかが隠れている国 があるが、世俗化政権が専制国家だっ たり、経済的に貧富の差が激しいもの だったりすると、振り子は原理主義の 方に揺れていく。さらに、共産主義の ような無宗教のイデオロギーが、エジ プトやアフガニスタンなどに強い影響 を与えると原理主義は真っ先にそれに 反発する。いまはアルカイダなどの原 理主義集団は、アメリカを最大の敵に している。湾岸戦争のときにイスラー ムの聖地を擁するサウジアラビアに米 軍が駐留したことが原理主義者のパン ドラの箱を開けたと言われている。
最も簡単なムスリムの世俗化の重要 な尺度の一つにアルコールの自由度が 挙げられるが、トルコもエジプトもア ルコールはどこでも買えるし飲める。
もちろん、国民のなかには敬けいけん虔なイス ラーム教徒で飲まない人も非常に多 い。
東南アジアのインドネシア、マレー シアなどは、世俗国家として宗教から 分離された政治を行っている。それぞ れ、民族的独立を優先した政策がイス ラームの政治への融合より優先された ということであろう。マレーシアなど は、したたかに、イスラームの国家で あることを金融面で有利に使いイス ラーム金融*8の中心地として名乗り を上げているが、政治は選挙もあるし 国会もある。
パキスタンやアフガニスタンなどの インド亜大陸付近のイスラーム国家 は、ご存じのように、世俗化が進めば 揺り戻しが起き、民主主義を根付かせ る目的で選挙を行うと原理主義者が台 頭したりする。国内の経済的な発展度 が地域によりばらばらであったり、原 子力発電所とロバによる運輸が同居す るような科学技術が一部にしか行きわ
*7:イサイイド・クトゥブが唱えた「ジャーヒリーヤ論」が有名。シャーリア(イスラーム法)の支配のない「戦争の家」をシャリーアに支配される「平 和の家」に変えようとするもの。
*8:イスラーム金融とは、シャーリアにのっとり利子の概念のない金融で、イスラームに沿って運営される。
トルコ共和国建国の父アタチュルク 写3
出所:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
たらない状態なので、政治的にも混沌 状態である。このような国はイスラー ムの真の平等主義が必要かもしれない が、ターリバーン(発音に忠実に表記 した)のような急進的な超原理主義者 が台頭してくる可能性も高く、イス ラームと世俗国家との綱引きが今後も 続くと考えられる。
さて、サウジアラビアやクウェート などの湾岸諸国であるが、各国さまざ まな世俗化の道を歩んでいる。サウジ アラビアは、イスラームに最も忠実で あるとした政治体制をとっていると説 明されている。すなわち、政教分離を あえてしないのがワハーブ派のこの国 の行き方であるとされる。憲法も国会 もない。クルアーンがあるのに憲法は 必要ないというものであるが、1993年 3月1日に公布されたサウジアラビア王 国統治基本法、諮問評議会法、地方行 政法がある。1997年、二聖モスクの守 護者である国王の勅令により、評議会 議員30名が追加され、議長1名と議員 90名からなる第2期諮問評議会が組織 さ れ た 。 ち な み に 、 第 1 回 会 議 は 、 1994年1月2日に開催され、会議には議 長、副議長、事務局長、60名の議員が 出席、議員には、知識、遂行能力、経 験、専門技術などの能力のある人々か ら選ばれているそうである。評議会議 員も選挙で選ばれるわけではなく、地 方と国の「シューラー(協議)」として 伝統的なイスラームの民主主義の形で あるとして召集され、国王の諮問機関 として機能することが期待されてい る。女性に関する慣習やアルコールに ついては、世界でも類を見ないほど厳 しい規制を課している。
クウェートはイギリスの保護領から 独立したときに憲法を公布し、議会を 選挙制度とともにつくった。議会は何 度も停止されたりしたが、紆う よ き ょ く せ つ
余曲折を 経て、現在は機能している。女性は車
を運転できるし、ベールも強制されな い。ただしアルコールは禁止である。
その他の湾岸諸国、バーレーンやカ タール、アラブ首長国連邦、オマーン などはクウェートには議会制において 追いついていないが、民主主義におい ては、それぞれスルタンやアミール制 であっても、女性諮問会議委員の選出 や選挙の段階的実施、女性の車の運転 の許可、アルコールの自由、テレビ放 送の自由度の高さなどさまざまな形で 世俗化を進めている。しかし、現在の 専制国家体制の枠の中での民主化であ ろう。
今回のテーマである平等を考えるに あたって、イスラーム教を国民の大半 が信じている国々が世俗化の観点から どういう政治体制をとっているのかを 大づかみに見てきた。イスラームに とってアッラーの前の平等は宗教的な 啓示であって、政治や経済がなんと いっても動かせないものであることは 真実である。しかし、それぞれの国が その国の中で国民の権利や義務、そし て経済的な分配を具体的に行うにあ たって問題化してくる平等は、その国 の政治・経済体制がじかに影響してく るのも事実である。
だからして、オイル マネーに沸いている 湾岸諸国は、なおさ ら神の前の平等と、
現実の国民間の権利 や経済的格差感との 矛盾を解消して、国 民全体の意識を平等 感あるものに近づけ ようと策を練らなく てはならない状態に なっている。富があ りすぎるゆえに現実 の経済的平等感への 矛盾も大きくなる。
富がなければ貧しくてもみんなが等し く、貧乏であれば、神の前での平等感 に近づくのは道理であろう。
湾岸諸国に限らず、世俗化を中途半 端に図っているイスラーム諸国は、必 ず平等の問題が政治体制や経済的利益 の分配に圧力となって降り注ぐ。
イスラームは宗教であると同時に生 活・人生そのものであることから、政 治と宗教は分離できないと言われる。
宗教をアヘンだとした共産主義とイス ラームの「平等」についての思想は、
絶対的平等を主唱している点では意外 と考え方が近いのではないかとも思え てくる。その意味では、この二つのイ デオロギーと宗教は機会の平等を保障 するだけではなく、結果の平等もある 程度要求するものであろう。しかし、
イスラームにおいて人は最後の審判に おいては性別も、財産も、職歴・学歴 も地位も関係なく、アッラーに自らの 責任で一対一で向き合い、その現世で の行為を審判してもらい、天国行きか 地獄行きかを委ねるのである。アッ ラーの前の絶対的な平等である。そし て、現世も非常に大切にするイスラー ムはアッラーからの啓示に基づき、ク
*9:イスラーム教で、ムハンマドの言行の伝承に基づく範例・伝統、ハディースにまとめられている。
現在のカタール 写4
出所:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ルアーンとスンナ*9に生活一般にわ たる模範的な生き方が示唆されてい る。だから、現世はどうでもよいとし、
来世に救いを求めるような宗教ではな い。
この点が根拠となって、イスラーム 教徒は平等をめぐる議論を現実的に行 い、雇用関係や給与や利益配分などが、
人間がつくった法律や契約に基づいて きちっと行われていても、イスラーム のシャリーアから見て、あるいはまた イスラーム教徒としての最後の神の前 の平等の観念から見て、おかしいと自 分が感じれば、平等に対する正論を 堂々と主張するという風土を持つこと になる。機会の平等を与えれば、競争 と多数決によって勝利者と落伍者が出 るのは仕方がないとは簡単には認めら れない風土がある社会であろう。
イスラーム諸国の企業で は平等をどう扱っているか
さて、原理・原則の話は確認したが、
現実のイスラーム社会のなかで、企業 はどのようにこの平等の問題を処理し ているのだろうか。筆者が経験したサ ウジアラビア・クウェートの石油開発 会社での実話を例に、この問題を考え てみよう。この現地の石油会社はサウ ジアラビアとクウェートが半分ずつ権 利を持っている。従業員はサウジアラ ビア人とクウェート人がともに働いて いるが、その人数比は50対50ではない。
いろいろな理由があって、サウジ人の 方が80%程度でクウェート人は20%に 満たない数であった。
そこで、5カ年事業計画のなかで、
クウェート人の人数比を上げていくと いうことになった。もちろん従業員は サウジアラビア・クウェート人だけで はなく、日本人やパレスチナ、ヨルダ ン、インド、フィリピンなどの外国人 も働いている。サウジ人もクウェート 人を外国人の置き換えで増やしていく うちは理解を示していた。しかし、外 国人の数は限られている。全体の15%
程度であった。外国人のなかには置き 換えできない専門技術を持った者もお り、クウェート人をもっと増やすには、
全体の従業員数を増やすか、サウジ人 を置き換えていくのかに問題が収しゅうれん斂し た。もちろん、定年退職者は少ないが ボチボチ出てくるので、それは置き換 えの対象になる。
そこで、採用試験をサウジアラビ ア・クウェート両国人を対象に行うこ とになった。サウジアラビア側は、今 までの人数比についても結果としてそ うなったので、採用の機会は両国に対 等に提供しており、会社に対する権利 が半分半分だとしても、結果まで、成 績や採用手続きの平等を崩してまで平 等にするのはおかしい、というので あった。いわゆる機会の平等でいいの だとする主張である。
一方、クウェート側は、採用試験の 成績や手続きは競争に慣れており、成 績のいいサウジ人に有利であり、ク ウェート人には相当げたを履かせても 新規採用については最低サウジ人とク ウェート人は半々にすべきであると主 張した。結果の平等の主張である。
これには行司役の日本人もどうした ものか、頭を抱えたものである。アメ リカには、少数民族やマイノリティー 出身の学生を入学試験のときに優先枠 を与えて成績が悪くても合格させる制 度があり、多数派からは逆差別だと問
題になっているが、まさしくこれは、
サウジとクウェートのマイノリティー 優先枠の設定の問題である。もうこれ はイスラームのアッラーの前での平等 の問題から離れて、それぞれの国益の ぶつかり合いであった。
クウェートはサウジアラビアに比べ て小国であり、やはりマイノリティー として、優先枠を主張したということ かと思っていたが、違っていた。ク ウェート政府は、石油会社は人材を教 育する義務を負っているのに、できる 人間だけを採用して教育の義務を放棄 しようとしている。試験のできない人 間も採用し、結果として平等にできる 人間に育ててくれというものであっ た。われわれ日本人にはなかなか理解 しがたいものであった。一方、サウジ 人は国内でも競争が激しいので、試験 を受けてクウェート人と競争した場合 の結果には自信を持っているので、機 会の平等を主張したものと思われる。
ここにおいて、なにかイスラームの 原理的な平等の考え方の論争が起きる かと見守っていたのであるが、イス ラーム湾岸諸国のなかの、最新・優良 企業である石油会社では、神の前の平 等思想の発露は残念ながらなかったの である。イスラームの現実の企業社会 への応用はむしろ遠ざかり、企業は競 争を中心にする世俗化へと進んでい る。
イ スラーム教徒の現代人 は平等をどう考えている のか
NHKの深夜の映画シリーズのなか で、「イブラヒムおじさんとコーラン の花たち」という面白い映画があった。
いくつもの映画賞を受賞し、ノミネー トされた名作だそうである。2003年の フランス映画で、原題は“Monsieur Ibrahim et les fleures du Coran”だ という。「イブラヒムおじさん」はイス
クルアーンの学習
写5
出所:サウジアラビア大使館HP
ラーム教徒で、トルコ人のフランスへ の移民であり、パリで食料品店を営ん でいる。彼と通りを挟んだ向かい側の アパルトマンに住んでいる自称16歳で 大人になりかけの13歳のユダヤ系のフ ランス人少年「モモ」との心の交流の 物語であった。おじさんは大変不幸な ユダヤ人の子供をなにかと面倒をみな がら、クルアーンにあるイスラームの 教えを日々の生活のなかで、例え話を 交え教えていく。移民を受け入れる社 会であるフランスのパリの下町で精 いっぱい生きているトルコ移民のイブ ラヒム。おじさんは鉄道で自殺したモ モの父親の葬式をあげ、モモを養子に し、買ったばかりの真っ赤なスポーツ カーでヨーロッパ大陸を横断し、トル コ山中のおじさんの古里に帰る。おじ さんはそこで、事故に遭ったにもかか わらず、満足しながら養子になったユ ダヤ人少年モモの手を握り、静かに息 を引き取る。成人し、モモはパリのブ ルーストリートに帰り、おじさんの食 料品店を引き継ぎ、おじさんの志で あったイスラームの自由・平等・博愛 を身につけた青年として生きていくこ とを決心する。その決心を暗示させる 風景と、淡々とした日々の町の風景で 映画は終わる。
貧困からの脱出、家族や人間の愛、
モモが万引きした時のおじさんの諭し 方、トルコへの凱がいせん旋の旅などがイス
ラームの大きな平等・博愛精神の伝達 の舞台として描かれていた。名優、オ マー・シャリフ*10の演技もさること ながら、イスラームの移民の問題を抱 えるフランスやヨーロッパがこの映画 を通して、イスラームを再評価し、理 解しようとする姿勢が見えてきたよう に思う。ユダヤ人のモモを養子にした トルコ移民のおじさん、そしてその生 活の舞台がパリであった。
筆者はイスラーム教徒全般が平等を どう考えているかなどという難しい問 題には、答える立場にはないが、この 映画のイスラーム教徒であるイブラヒ ムおじさんの考え方は、現代の世俗化 したイスラーム教徒の平等への気持ち を代弁しているのではないかと思っ た。というのは、イブラヒムおじさん は、移民ではあった
が、誠実にフランス 社会で働き、質素で はあるが、一応の経 済的生活の安定を得 た。しかし、古里の 妻は亡くなり、子供 もいなかった。寂し さ か ら だ け で は な く、ユダヤ人の少年 モモを心から人間と して受け入れ、少年 にイスラームへの門 を広げてあげた。少
年も反発しながらも最後には、おじさ んの「人間は神の前では平等」であり、
「クルアーンの教えを守りなさい」と いうことに心を広げた。少年も成人し て心の平安を得、そのなかで、貧しく ても正しい道を進もうとしている。イ スラーム教徒は、本来イスラームの考 え方は内面の問題も神との一対一の対 面のなかで考えており、平等の考え方 も「機会平等や結果の平等」ではなく、
どっちにしても結局はアッラーが決め るものだとしているのではないだろう か。そうすれば、矛盾が多く思いどお りにはならないこの世で心の平安があ ると考えているのではないか。宗教と 心の平安を考えさせる映画であった。
一度ご覧になることをお勧めする。
執筆者紹介
庄司 太郎(しょうじ たろう)
ふるさと:1953年、宮城県白石市に生まれる 学歴:1976年、東北大学法学部法律学科卒業
職歴:1976年、アラビア石油株式会社入社、ニジェールのテキダンテスムにて、ウラニウム探鉱に従事(2年間)、
サウジアラビア・カフジ鉱業所勤務(2度、9年)、クウェートにてクウェート事務所に勤務(4年)の海 外勤務を含め、石油を中心にした資源開発に従事。現在、アラビア石油株式会社 取締役、前石油鉱業 連盟企画調査部長
著書:「アラビア太郎と日の丸原油」エネルギーフォーラム社(第28回エネルギーフォーラム特別賞受賞)、「石 鉱連資源評価スタディ2007年(世界の石油・天然ガス等の資源に関する2005年評価)」(分担執筆)石油 鉱業連盟など
興味:エネルギー安全保障、イスラーム、サウジアラビア・クウェート地域研究、インド・タイ地域研究、外国人の教育訓練 家族:妻、長男、インディー(愛犬)
*10:1962年の「アラビアのロレンス」、2004年の「オーシャンオブファイヤー」にも出演、各映画賞でも数々の栄誉に輝いている。
「イブラヒムおじさんと コーランの花たち」より 写6
出所:goo映画フォトギャラリーより