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私にそれは初耳でなかったかも知れぬ。子供の時から聞いて居たのかも知れぬ。其調 子の弦を私は私の衷にもつて生れて来たのがたまたま塩原の山中ではつきり喚びさまされ

문서에서 徳冨蘆花の初期作品考察 (페이지 80-83)

たの か も知 れ ぬ 。 兎 に角 、 私 は それ 以 来 時 々 頭 の 中 に 此 音 を聴 く。        

      ( 『蘆花全集第17巻』: 112~1 14)

  

 蘆花にとって、流れる水音は「Thestill,sadmusicofhumanity.」25)(人間性の静 かで悲しい音楽:金田真澄訳)である。「人間神の進行曲」(『蘆花全集第17巻』:114)な のである。蘆花の生れ故郷は熊本県水俣の海辺の村であった。その後、3才の時引っ越して から学童期にかけて住んでいた家や通学路は川の流れに沿っていたという。そうした幼い頃の 環境から見て、蘆花の潜在意識に水音は常にあったことがわかる。流れる水音は蘆花の心を 呼び覚ます自然の声であるといえよう。「空山流水」の曲を聴いた体験は、逗子での自然生 活と写生修業によって自然を見る眼が開かれた。「除夜物語」に見られる水と死のイメージ が大きく変化したと言える。

 6) まとめ

 蘆花の<自然三部作>には、山や海といった自然スケッチだけではなく、その中に見え隠 れする人間の生と死が描かれている。それは蘆花が生と死という人間の営みも自然の一部とし て捉えるからである。自然が永遠であるように、人間の肉体の死は終りを意味するのではな

24) 心の中。まごころ。

25)『自然と人生』の冒頭に引用されているワーズワースの詩の一部分。

い。人間の魂は永遠なる自然に帰ると考えている26)。 

 以上、蘆花の4つの小品を執筆年代順に考察、比較しながら、それぞれの作品にあらわ れる死と水のイメージを作者自身のタナトスと結び付けて考察してきた。「夏の夜かたり」は、

蘆花の恋愛事件で受けた心の痛手がそのまま作品に投影されていた。主人公松井の傷付い た魂は自然によって慰められることなく、暗く孤独なまま死んでいく姿を見せた。自殺こそしな かったが、失恋当時の蘆花の心象風景を垣間見ることができた。松井の死んだ海は、孤独 で罪にさいなまれる者の逃避所であり、墓場を表象していた。死んだ松井の魂は解脱を求め て永遠の宇宙空間を飛びかうが、解脱しかねて夜の海を亡霊となってさ迷っていることを暗示し ている。この作品を書くことで蘆花が自己の解脱の道を求めていたことがわかった。

 次に「数鹿流の滝」は平民的詩人としての蘆花の片鱗を見せている作品である。社会的 弱者の不条理な死と無念と怒りが込められている。滝壺の中に突き立っている亡骸の凄惨さか ら、この作品は自然の驚異と恐怖、さらに怒りのイメージが描かれていることがわかった。

 「漁師の娘」では、霞ヶ浦の大水はお光を自然に戻すための仕掛けとみた。自然から生 れた自然兒は人間界にふさわしくない。自然に帰るのが当然である。「漁師の娘」には蘆花 のあこがれが描かれている。湖は人間界をはなれたユートピアであり、慰めを得る避難所であ る。またはすべてを包容する母性の象徴でもある。これ以前に書かれた「夏の夜かたり」と

「数鹿流の滝」の2作品と比べると、水のイメージが変化していることがわかる。暗さや怒りの イメージは弱まり、母性の優しさと自然に「逃避的な慰め」を求めていた蘆花の心境が現れ た。

 次に続く「除夜物語」や『自然と人生』に収録された自然写生文では、水のイメージが 変化していることが読み取れた。「除夜物語」の洪水は、人間の罪や汚れを審判し、大地 を浄める仕掛けとして用いられていると見た。しかし、罪人に喩えられる汽車の乗客が流された のではなく、罪のない為が犠牲になるように蘆花は設定した。これらから為の死は、神の子羊 イエスの死を描写し、洪水は罪の浄化をイメージしていることがわかった。

 <自然三部作>の作品には、多彩な自然や水の描写が現われている。そしてこれらの4 作品に見られる死の描写や水のイメージは次第に変化していることがわかる。その理由として、

26)蘆花が死の間際に、上州伊香保温泉の千明仁泉亭の湯につかり、榛名湖のほとりまで無理をおして出かけた 無謀ともいえる行動は、復活と関連づけることができるかもしれない。キリストが肉体の死を意識しながらガリラヤ 湖畔に佇んで永遠の神の国を思索したことと、蘆花もまた死を予感しながら榛名湖畔を訪れたこととオーバーラッ プするものがある。

失恋や、人間関係などに起因する蘆花の心の傷があげられる。それらの傷は自然によって次 第に癒されてきたことがわかった。前の3作品の自然描写の中には蘆花自身のタナトスが見ら れる。「漁師の娘」執筆前後から、蘆花の作品は自然と人間に関しての観察眼が明るく なっている。「除夜物語」では悲話ではあるが、心暖まる人間愛が強調されていることが特 徴であると言える。

 

2. <自然三部作>に見られる自然認識

 1) 序

 ここでは徳冨蘆花の習作時代における<自然三部作>とも言える『青山白雲』(1898)、

『自然と人生』(1900)、『青蘆集』(1902)をひとつの流れとして捉えて27)、考察することにす る28)

 『青山白雲』「序」と『青蘆集』の最終章「吾初恋なる自然」を見ると、内容の連続 性を示していることがわかる。本節では蘆花の自然認識の変化の特徴がうかがえる文章を挙 げながら、蘆花の自然認識を鳥瞰的に考察してみる。まず、自然への開眼時期と見られる

『青山白雲』の「序」と「漁師の娘」について考察する。続いて自然を文章でデッサンし ている点で自然詩人としての地位を不動のものとした『自然と人生』の「自然に対する五分 時」と「湘南雑筆」を、最後に『青蘆集』の最終章「吾初恋なる自然」に至るまで、蘆 花の自然認識について順を追って考察していきたい。

 2) 『青山白雲』─「序」と「漁師の娘」

 (1)「序」に見る自然への開眼

 『青山白雲』は1898年3月に出版された29)。その「序」は蘆花の写生修業と自然への 開眼についての根拠となる研究材料として重要である。「序」は1898年1月に執筆されている が、その1年前の1897年1月3日、蘆花夫婦が東京から神奈川県の逗子30)に引っ越した出

27)中 野は「作 者習作時代を代表する記念碑ともいうべき一系 列の文 集である」と位 置付けしている(中 野:1984b:40)

28)本節は細見典子・金鸞姫(2014)「<自然三部作>に見られる自然認識」を一部修正したものである。

29)出版当時は文壇の反応もなく、読売新聞社だけが「夏の山」はおもしろいと評価した。あとは意識的に無視され  ていた面もあった(『蘆花全集第17巻』:136)

30)相模湾に面する都市で、現在は東京や横浜のベッドタウンだが、当時は海水浴場を利用する人々が訪れた

来事に注目する必要がある。蘆花はその当時のことを「私共が東京から逗子の海辺に移った のは、二十年来の無理で不自然にされてしまった本来の自然児が、自然に帰る第一歩であり ました。」(『蘆花全集第10巻』:283)と回想しており、「身を自然大化の浴槽に投じて満身 の汚穢を一新したいと思ふより、湘南31)に客となって」(『蘆花全集第4巻』:4)32)写生に精 進しながら、執筆活動を行った。

 1896年の初頭から和田英作33)に師事して絵画を学んできたが、『青山白雲』出版前の 1898年1月に書かれた「序」34)には画学修業に没頭した内容が記されている。吉田はこれを

「素人写生家の懺悔」だと述べている(吉田:1980:21)。蘆花が画学修行によって自然を見 る眼が開かれ、それまでの己れの無知に気付いたことを公に告白しているものである。画学修 行を始めてから丸二年の間、宇宙の森羅万象を尽く写生帖に描こうとする写生狂であった蘆 花が「序」にこう記している。自分は美を見る眼が画家には劣っていないと思い、すぐにでも 素晴らしい画が描けると思って習い始めた。しかし、次のような事実を悟ったにすぎないのであ る。

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