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셋쿄부시

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Academic year: 2022

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(1)

1)

吉岡浩人

*

목 차 1. はじめに

2. 作品に表われる説経節的要素の様相とその特徴 3. 孝意識と菩提意識

4. まとめ

<국문초록>

셋쿄부시 <아미다노 무네와리(阿弥陀胸割)> 연구

- 셋쿄부시 <마쓰라쵸자[まつら長じや(上方版)]>와의 비교를 중심으로 -

셋쿄부시 <마쓰라쵸자[まつら長じや(上方版)]>는 셋쿄부시 <아미다노 무네와 리(阿弥陀胸割)>에 비해 상대적(相対的)으로 소녀가 돌아가신 부모에 대한 효의 모순성(矛盾性)이 아주 강하게 나타나 있는데 반해, <아미다노 무네와리>는 돌아가 신 부모를 향한 효행의 모순성이 없고 논리적(論理的)인 작품이었다.

또한 <마쓰라쵸자>는 살아계신 부모님에 대한 효도와 돌아가신 부모님에 대한 효도를 모두 강조한 작품이라고 볼 수 있었다. 반면, <아미다노 무네와리>에서는 돌아가신 부모님에 대한 효도만을 강조한 작품이었다.

그리고 <아미다노 무네와리>의 어린 소녀는 돌아가신 부모를 성불(成佛)하게 했다는 관점에서 돌아가신 부모(양친)에 대한 효도를 완전히 이룬 인물로 평가되

* 요시오카 히로토, 서일대학교(瑞逸大学校) 비즈니스 일본어과(ビジネス日本語科) 助教 授, 韓日比較文学 口碑文学 国語教育

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며, 그 점에서 <아미다노 무네와리>는 <마쓰라쵸자>에 비해 [향수 자(享受者)]에 대한 효․신앙의 교육에 효과를 더욱 기대할 수 있는 작품이었다.

또한 <마쓰라쵸자>의 소녀는 초월적인 특별한 인물(신성(神聖)을 소유)이었던 데 반해 <아미다노 무네와리>의 소녀는 효심 이외의 초월성(超越性)을 소유하지 않았다. 이는 초월성을 갖지 못한 보통 사람이라도 효도를 실행하면 기적(奇蹟) 이 일어나거나 불벌(仏罰)을 받아 죽은 부모도 성불할 수 있음을 말해 주고 있었 다. 실제로 향수자는 대부분이 초월성을 갖고 있지 않은 보통 사람일 것으로 추측 할 수 있기 때문에, 그들에게 효도를 장려(獎勵)하고 의욕을 갖게 하는 데 있어 서, <마쓰라쵸자>에 비해 <아미다노 무네와리>가 더 효과적이었다.

그리고 <아미다노 무네와리>는 <마쓰라쵸자>에 비해 [설경절적 요소(説経節的 要素)]를 보다 적게 내포하고 있는 작품이었으나 특히 <아미다노 무네와리>는 <마 쓰라쵸자>에 비해 작품에 나타나는 유랑민적인 성질이 약해진 작품이었다.

마지막으로 문학사적 관점에서의 <아미다노 무네와리>의 의의는 다음과 같이 정리되었다.

<아미다노 무네와리>에서 <마쓰라쵸자>에 비해 유랑민적인 성질이 약해진 것 은 도시극장의 향수층의 취향에 더 맞는 성질이라고 볼 수 있었다.

그리고 <아미다노 무네와리>에 있는 ‘누구나(불벌을 받은 죄인의 자식․보통 인) 소녀처럼 죽은 부모에 대한 효도(菩提)를 실행하면, 기적이 일어나거나 불벌 을 받고 죽은 부모조차도 성불시킬 수 있다는 메시지’, 및 ‘소녀의 죽은 부모에 대 한 효의 모순성이 없고 형제자매가 서로 도와 효도(성불)하는 이야기의 내용’은 

<마쓰라쵸자>에 비해 당시의 일반 서민(자녀교육을 생각하는 도시의 향수층)의 취향에 더 맞는 성질이라고 볼 수 있었다.

주제어 : 셋쿄부시, 유랑, 위치, 성불, 효, 보통 사람, 극장

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1. はじめに

<阿弥陀胸割>は天竺の幼い娘が天罰で死んだ両親の供養の為に長 者に身を売り、両親を成仏させる国外が舞台となる孝行物語である が、この話の中には娘が長者の息子の難病を治す為に自分の生き肝を 捧げた時、阿弥陀が娘の身代わりになって、その胸から血を流し娘 の命を救う阿弥陀の慈悲を強調する内容もある。 この物語は早くは慶長19 年(1614年)に、京都、金沢で上演された記録があり、古活字本、説経 節․古浄瑠璃の台本等が存在している。

<阿弥陀胸割>における主な既存研究成果をみると、諸本研究では国 文学研究資料館所蔵の<古活字版>、天理大学附属天理図書館蔵の<さ うしや賀兵衛版>(刊年慶安(1648~1652)4年、<むねわり>)、江戸中期 頃の<鱗形屋孫兵衛版>(刊年不明、天満八太夫正本、<阿弥陀胸割>)等 の諸本が確認されており、古浄瑠璃系(<むねわり>)と説経系(<阿弥 陀胸割>)等に区分し、各諸本の関係について考証した論考もある。1) 殊 に古浄瑠璃系と説経系において、どちらが先行かが問題視されている。

信多純一氏は<さうしや賀兵衛版>の欠文を<鱗形屋孫兵衛版>で補い 寛永頃の本文の復元を試み、寛永頃の<むねわり(阿弥陀の胸割)>本文 が古浄瑠璃正本として刊行されたものであると主張した。2) しかし後に 国文学研究資料館所蔵の現存最古本<古活字版>が新しく発見され3)、 古浄瑠璃系先行説の再検証が必要となっている。 また<阿弥陀胸割>の

1) 信多純一, 「뺷阿弥陀胸割뺸 復源考」, 뺷近世文学 作家と作品뺸, 中央公論社, 1973 また 説経系<阿弥陀胸割>の諸本の解題をした物もある。 横山重 編, 뺷説経正本集 第二뺸, 角川書店, 1968, pp.130-141。

2) 上掲書, 参考。

3) 和田恭幸氏は[和田恭幸, 「新収資料紹介(46) 古活字刊本뺷阿弥陀胸割뺸」, 뺷国文学研 究資料館報뺸 第56号, 2001年3月, p.12]において、この本の刊年を慶長(1596.10.27~

1615.7.13)末年から元和(1615.7.13~1624.2.30)年間(慶長元和中刊)であろうと述べて いる。

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成立過程に関する研究では花部氏は盲目の老母の為に、両親が自分の 子の生き肝を差し出す、昔話뺷孫の生き肝뺸と似たような類型の、中世 から近世の事例を示し、この昔話に至る過程を説明したが、そこに は関連話として<阿弥陀胸割>を言及した。4) また粂汐里氏は<阿弥陀胸割>

の類話と指摘される番外謡曲뺷厚婦뺸と、国文学研究資料館所蔵の<古 活字版>の比較を通して、<厚婦>が中世以前の譬喩因縁譚から<阿弥 陀胸割>に至る過渡期の姿を留めていることを確認し、さらには法会 唱導の場で享受された説話群と<古活字版>を比較し、説法の場で語 られた物語が演劇に展開する過程をまとめた上、<阿弥陀胸割>の享 受史を整理することで、幼い少女が身売りをし、阿弥陀が身代わりに なる場面こそ、中世以前の説話群にはない<阿弥陀胸割>の独自部分 であると指摘すると同時に、キリシタンの殉教、信濃善光寺如来の 遷座といった社会状況が<阿弥陀胸割>の成立背景と関わっていると 推察した。5) また<阿弥陀胸割>の作品自体の研究として法月敏彦氏は

<阿弥陀胸割>の慶安4年<さうしや賀兵衛版>と<鱗形屋孫兵衛版>の 異同を検討し、前者は‘舞い語り形式’の演出を行う‘聴く語り物’、後者 は人形の動きや舞台面の仕掛けが主体となる‘観る語り物’への変化を 意味するものとし、両版の間には語り物としての構造の違い、ある いは上演形式の違いが認められると指摘した。6) 以上の主な既存研究成 果から判断しても、当時の人々に、人気があったと思われる<阿弥陀 胸割>についての研究が、量的にも質的にも未だに活発に行われてい ないことが分かる。

4) 花部英雄, 「昔話「孫の生き肝」の生態と歴史」, 뺷昔話と呪歌뺸, 三弥井書店, 2005。

5) 粂汐里, 「뺷阿弥陀胸割뺸の成立背景 - 法会唱導との関わり」, 뺷総研大文化科学研究뺸 第12号, 2016。

6) 法月敏彦, 뺷演劇研究の核心 人形浄瑠璃・歌舞伎から現代演劇뺸, 八木書店, 2017 pp.145-154。

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ところで説経節作品の中で孝行話として、<阿弥陀胸割>7)、<まつ ら長じや(上方版)>8)、<目連記>、<さんせう太夫>等がある。 さらに 先行研究を調べた結果、説経節というジャンルの中で孝行話作品間で の、それぞれの孝行話としての特徴についての論考が全く見付から なかった。 即ち、説経節孝行話作品の中での、それらの差異、特質、

説経節での位置付けについて本格的に検討を試みた作業がなかった。

このような問題意識を持ちつつ、本稿では作品間の相違から作品の独 自性を究明する方法は効果的であると考え、説経節孝行話の作品間を 比較し分析する手法で研究を進めることにする。

殊に<上方版>は<阿弥陀胸割>と同じように少女が既に亡くなった 親の菩提の為に自分の身を売る犠牲的な孝行話である。 そこで都市の 劇場で語られた説経節<阿弥陀胸割>(刊年は宝永(1704~1711)初頃) を、同じく都市の劇場で語られた説経節的特性が濃厚な説経節<上方

7) 本稿では[<阿弥陀胸割>(横山重 編, 前掲書, pp.130-141]をテキストとして、テキス ト阿、と簡略化し表記した。 天満八太夫正本 刊年は宝永(1704~1711)初頃と推定さ れている。 信多純一, 前掲書, p.417。 万治から延宝(1658~1680)の期間は劇場に進出 した説経節の最盛の頃であり、立役者の一人として江戸の天満八太夫(石見掾)が挙 げられ、彼の節回しは独特であり、恐らく彼は、延宝末年で引退あるいは死亡した ことと見られている。 室木弥太郎, 뺷中世近世日本芸能史の研究뺸, 風間書房, 1992, pp.280-281。 またテキスト阿を天満八太夫(石見掾)が語ったことは次の本を参照。 室 木弥太郎, 뺷増訂 語り物(舞․說經 古浄瑠璃)の研究뺸, 風間書房, 1992, pp.300-301。

8) 本稿では[<まつら長じや(上方版)>(室木弥太郎, 뺷新潮日本古典集成 説経集뺸, 新潮 社, 1992, pp.345-389。 なお本稿では研究資料を引用する時、原文にあった漢字の読み 仮名を記述しなかった)]をテキストとして、テキスト上、と簡略化し表記した。 また<ま つら長じや(上方版)>は寛文元年五月(1661年)刊記を有している。 一方、<まつら長者 (江戸版)>は刊年未詳であるが宝永初年(1704年)ごろの刊行と推定されている。 横山重 編, 뺷説経正本集 第一뺸, 角川書店, 1968, pp.460-465. 参照。 なお本稿では<まつら長じ や(上方版)>を簡単に<上方版>と表記することにする。 またテキスト上は説経与七郎 が語ったのではないかと思われている。 室木弥太郎, 뺷新潮日本古典集成 説経集뺸, 前 掲書, p389。 説経与七郎は寛永から明暦(1624~1657)の期間の中で、代表的な説経説 きであり、伊勢の出身で各地を放浪している間に大阪の芝居に出演するチャンスを 得たとみられる。 室木弥太郎, 뺷中世近世日本芸能史の研究뺸, 前掲書, p.279。

(6)

版(1661年刊記)>9)と対比しながら、説経節<阿弥陀胸割>を作品それ自 体に焦点を合わせ分析したい。 その結果、先行研究で未だ解明されなかっ た説経節<阿弥陀胸割>と説経節<上方版>の孝行話としての差異、説 経節<阿弥陀胸割>の文学的な独特な特質及び、説経節作品での位相を より具体的に究明することにする。

この論文では次のように作業を進めていく。 まず最初に説経節<阿弥 陀胸割>と説経節<上方版>に表われる説経節的要素(漂泊民の登場、

漂泊民の道中の路程、漂泊民への賎視意識、悲嘆感誘発、漂泊民だっ た者の復讐、漂泊民との同一視による作家層の心の解放)の様相を各 要素別に検証する。 次に両作品の孝意識と菩提意識について調べてい く。 そして最後に論究で得られた結果を総括し、まとめることにする。

特に両作品を綜合的に分析して、<阿弥陀胸割>は<上方版>に比べて 作品に表われる漂泊民的性質が弱まっていることと、<阿弥陀胸割>

の文学史的な意義を探りたい。

以上の結果、説経節<阿弥陀胸割>の文学的な特質、及び、説経節

<阿弥陀胸割>の説経節作品での位置とその意味を、より具体的に解 明することにする。 その結果、説経節文学の孝行話の特質の一部と、説 経節文学をより深く理解できるであろう。

9) <上方版>は<江戸版>に比べて説経節的要素がより濃く内包していると考えられる。

拙稿, 「説経節<松浦長者 江戸版>の文学的特質」, 뺷日本學報뺸 第76輯, 韓國日本學 會, 2008 参照。

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2. 作品に表われる説経節的要素の様相とその特徴

10)

說經節は仏教の說經、講說から出発し、徐々に娯楽性、演技性等が 增大し、音樂化することで成立した。 說經節の起源は室町時代(1336~

1573)の初め程度と考えられる。11)元々、野外の芸能であった説経節は、

祭礼、縁日の時、人々が多く集まる神社仏閣等で語られた。 説経節の 語り手は神社仏閣等で説経節を語ることによって生計を成していた。

說經節の語り手の一部は17世紀の初めに三味線、人形を使用して劇場 に進出した。 彼等の說經節は淨瑠璃と競ったが18世紀以後、衰退した。

室木弥太郎氏は、簓を捨てて、三味線を使うようになったのは、三 味線の流行によるが、恐らく劇場進出がきっかけで、寛永8年(1631 年)より少し前を想定している。12)

この章では説経節<阿弥陀胸割>と説経節<上方版>に表われる説経 節的要素(漂泊民の登場、漂泊民の道中の路程、漂泊民への賎視意識、

悲嘆感誘発、漂泊民だった者の復讐、漂泊民との同一視による作家層 の心の解放)の様相を各要素別に検証し、4章で両作品の説経節的要素 の様相を綜合的に分析する為の準備をすることにする。

10) 説経節要素については筆者の下記の論考を参考にし検証を試みた。 論述過程で下の 論考で言及した部分が繰り返し出ることを明らかにして置く。 上揭書, pp.285-287、 

拙稿, 「<さよひめのさうし>と説経節<松浦長者 上方版>の比較研究」, 뺷日語日文 學研究뺸 第69輯2卷, 韓國日語日文學會, 2009, pp.358ー369、 拙稿, 「<まつらさよひ め>と説経節<松浦長者上方版>の比較研究」, 뺷日本學報뺸 第81輯, 韓國日本學會, 2009, pp.209-216、拙稿, 「<さんせう太夫>小考 - <まつら長者>との比較を中心に-」,  뺷인문학연구뺸 47, 2014, pp.364-367。

11) 室町時代後期と主張する研究者もいる。

12) 室木弥太郎, 뺷新潮日本古典集成 説経集뺸, 前掲書, p.412 参照。 また說經節は三都 (江戶、京都、大阪)で都市庶民を対象に常設劇場で慶長(1596~1615)末から亨保 (1716~1736)初めに掛けて約110年間、公演されたようだとする見解もある。 松村雄二․

林達也․古橋信孝 編, 뺷日本文藝史 表現の流れ 第三卷․中世뺸, 河出書房新社, 1987, p.314 参照。

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2.1. 漂泊民の登場、及び、漂泊民の道中の路程

<上方版>は<阿弥陀胸割>は説経節を出版した本であるから説経節 的要素が内包していると推測可能であるが、両作品を比べながら読み 通してみると、作品にあらわれる説経節的要素の違いが気付く。

説経節的特徴はいろいろあると考えられる。 藤掛和美氏は<さよひ めのさうし>と뺷松浦長者(<上方版>と<江戸版>を校合し扱った)뺸を 比較分析することで民衆域に位置するジャンル説経節の位相を明らか にしようとした。 藤掛氏は聖性、賤性、漂泊性を説経節の特徴を表す 位相素であると仮説し、<さよひめのさうし>と<松浦長者>におい ては、この聖性、賤性、漂泊性が如何に表現されているか調べ、そ の結果、<松浦長者>は<さよひめのさうし>に比べ聖性、賤性、漂泊 性という位相素が強いことを示したが、特にその中でも賤性が最も 強いことを検証した。13)

また荒木繁氏は説経節特有の陰惨な雰囲気と復讐について次のよう に言及した。

(ア) 説経節特有の陰惨な雰囲気は、それを生みだした下層民衆の辛くきびし い虐げられた生活を反映するものに相違ないが、それと同時にかれらがかれら を抑圧し迫害する者を現実に克服していく可能性を見出すことができず、そ の鬱積した憤怒と怨恨がほとんど呪いのようなものとなって、全体にたちこめ ていることにもよるであろう。 迫害され流離する貴種の物語というのは、民俗 学者のいうように伝統的な発想の型であったかもしれない。 しかし、説経節に おいては、それに、同じく虐げられ苦しめられた民衆の、現実の体験にもとづ く感情が移入され、共感がおりこめられている。 そして、かれらは、その主人

13) 藤掛氏は説経節の特徴を表す位相素として聖性、賤性、漂泊性を仮説した。 ① 聖 性(宗教性) : 時宗、高野聖、熊野非丘尼、巫女等との関わりから。 ② 賤性(社会性) : 非人、奴隷、乞食、業病者等との関わりから。 漂泊性 : ①と②との関わりから。 藤掛 和美, 뺷説経節の世界뺸, ぺりかん社, 1993, pp.83-110。

(9)

公が富貴と権勢を得るという仮構をとおして、迫害し苦しめた者に対する復 讐を心ゆくまで果そうとしたのである。14)

そして荒木繁氏は説経節の登場人物について下記のように語った。

(イ) 説経節にあっては、登場する人物は、それぞれ語り手や聞き手の愛憎の 感情が投影されることによって人間的実在感をもって立ちあらわれ、主人公 の発する喜びや悲しみや苦痛の呻きは、そのまま語り手や聞き手の感情に共 鳴音をかきならすようなかたちで享受されたにちがいない。 それほど、説経節は なまなましい愛憎の感情によって染め上げられているのである。15)

説経節の語り手層の大部分は下層階級に属し、漂泊芸能民だったと 考えられている。 その点で説経節には漂泊性と関連した属性を見付け られると予想できる。 ここでは特に藤掛和美氏が述べた漂泊性に焦点 を合わせて検証することにする。

説経節の作品には漂泊民がよく登場するが、上の引用文(ア)、(イ)か ら分かるように作品中の漂泊民には漂泊芸能民であった語り手の感情 が投影されていると考えられる。 そのような観点で漂泊民の登場に注 目すべきであり、漂泊民の登場は説経節的要素と推し量られる。 特に 作品中に漂泊民がより多く登場する場合、‘漂泊民の登場’という点で 説経節的要素がより多く内包していると判断できる。 ここでは作品中 に漂泊民が何人現われるかを数量的に調べることにする。

<上方版>には大蛇がさよひめに自分が大蛇になった経緯を話した 内容がある。16) その話から推測すれば999年の間に大蛇に食べられた999

14) 荒木繁, 뺷中世末期の文學 岩波講座 日本文學史 6뺸, 岩波書店, 1959, p.23。

15) 上掲書, p.23。

16) “…国を申せば伊勢の国、二見が浦の者なるが、継母の母に憎まれて、行方も知らず 迷ひ出で、人商人にたばかられ、かなたこなたと売られ来て、この所に隠れもなき、

(10)

人の中には、さよひめとか大蛇になる前の女のような漂泊民の女が いたことが予想できる。 ここでは彼女達を‘大蛇の餌食になった漂泊民の 女達’と呼ぶことにする。 それで<上方版>では、さよひめ、母、大蛇 になる前の女、‘大蛇の餌食になった漂泊民の女達’が漂泊民と考えら れる。 一方、<阿弥陀胸割>では姉と弟が漂泊民と考えられる。 数量的 には<阿弥陀胸割>では漂泊民が2人登場するが、<上方版>では3人と その他多数(大蛇の餌食になった漂泊民の女達)が登場すると考えられ る。 上の事実より‘漂泊民の登場’という点で<阿弥陀胸割>は<上方版>

に比べ説経節的要素(漂泊民の登場)をより少なく内包している作品で ある。

また説経節の作品には登場人物が悲しく流離する内容がある。 ここ で‘漂泊民の道中の路程’17)も漂泊性と関連した属性(説経節的要素)と推 測可能である。 <上方版>では‘漂泊民の道中の路程’が奈良から近江に至る 道程は大変詳しく語られ、語られる地名は中世(13ー16世紀頃)の雑芸

十郎左衛門と申す者が買ひ取りて、憂きの思ひをつかまつる。 そのころまでこの池は、

わづかの小川にて候へしが、在所の人の集まりて、橋を架けんとて、一年に一度づ つ、橋を架くれども、この橋つひに成就せざりけり。 一つ所に集まりて、いかがせん と内談申す。 中にも少年の寄りたる者の申すやう、博士を召し占はせんとて、やがて 博士を呼び出す。 博士参り、一々に占ひける。 あら恐ろしの占ひや。 これは見目よき女 房を、人柱に沈めらるるものならば、橋は成就なるべしと占うたり。 それこそやすき次 第とて、やがてみくじをこしらへ、取り見れば、自らを買ひ取りし、十郎左衛門が当 りしなり。 さてこそ自らを沈めしなり。 その折この川端へ参る時、自ら余りの悲しさ に、뺷あら情けなき次第かな、八郷八村の里に、人多きその中に、自らを沈むるもの ならば、丈十丈の大蛇となりて、この川の主となりて、この在所の者どもを取つては 服し、取つては悩ますものならば、七浦の里を荒さん뺸と、かやうに悪口し、つひに沈 めにかけられて、かやうの姿とまかりなる。 きのふけふとは思へども、九百九十九年住 まひをし、年に一人づつの人を取り、諸人の嘆きを身に受くる。 その報ひにや、うろこ の下に九万九千の虫が棲み、身を責むる苦しみは、なににたとへん方もなし。 なんぼ う物憂きことぞかし。 かやうなる折節に、御身のやうなる尊き姫に会ふことは、ひとへ に仏の御引き合はせ」と、喜ぶことは限りなし。” (テキスト上, pp.380-382)

17) 「道中の路程」に対しては上揭書, pp.26빲50 參考。

(11)

能民との関連性が考えられる。18) 反面、<阿弥陀胸割>にも‘漂泊民の道 中の路程’が存在するが日本国外の地名であり、その地名は日本の雑 芸能民と全然関連性がない。 その上、<上方版>に比べたら全く詳しく 語られていない。 上の事実より‘漂泊民の道中の路程’という点で<阿弥陀 胸割>は<上方版>に比べ説経節的要素(漂泊民の道中の路程)をより少 なく内包している作品である。

2.2. 漂泊民への賎視意識

説経節の大部分の語り手層(漂泊芸能民)は賎視されながら生活され たと推測される。 彼等の作品には賎視意識が発見でき、それは漂泊性 という特性の属性(説経節的要素)だと推し量られる。 なぜなら前の引用文 (ア)、(イ)から分かるように作品中の漂泊民には漂泊芸能民であった語 り手の感情が投影されていると考えられるからである。 実際、岩崎武夫 氏は“この‘漂泊民への賎視意識’は説経節の本質を語っているもので、

これを外すことは説経節の理解に大きな歪みを与えることになろ う”19)と主張したりもした。 ここでは両作品における‘漂泊民への賎視意識’

について調べることにする。

A <上方版>の場合

下記のように‘漂泊民への賎視意識’が4個所で発見できることを、筆 者が検証したことがある。20)

18) 本多典子, 「說經 「まつら長者」の構図」, 뺷都大論究 24号뺸, 1987, pp.20-21 参考。

19) 岩崎武夫, 뺷さんせう太夫考뺸, 平凡社, 1994, pp.304-305。

20) 1 :漂泊民になったさよひめが家を出発し八郷八村に行く途中、太夫は血も涙もない ように彼女を連れて行こうとした。 また漂泊民になったさよひめが八郷八村に行く途 中、太夫に休まして欲しいと願った時、彼は彼女をムチで打つ場面が一度ある。 上の 事実から‘漂泊民さよひめに対する太夫の賎視意識’が発見できる。 2: 村人達はさよひ めが大蛇に殺されるのを、何か楽しみなものを見るかのように桟敷を作り小屋を掛

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1 漂泊民さよひめに対する太夫の賎視意識 2 漂泊民さよひめに対す る村人達の賎視意識 3 漂泊民の大蛇の女に対する、ある村人(十郎左 衛門)の賎視意識 4 漂泊民の母に対する子供達の賎視意識

B <阿弥陀胸割>の場合

1 姉と弟に対する在所の者の賎視意識

ざいしよのひとひと、見るよりも、あれを見よ、きのふまで、長者の子ども とよばれしが、けふはまたひきかへて、そでごいするこそ、あはれなれ、七つ 五つのふぜいにてちゝはゝに、はなれしも、三世のしよぶつの、はなしたまへ ば、いまはしゝ、もんに … たゝすな、うちへいれなと申けり

(テキスト阿 pp.132-133)

<阿弥陀胸割>には本文を通して‘漂泊民への賎視意識’が1個所で発見 できる。

殊に漂泊民への賎視意識がより多くある場合、‘漂泊民への賎視意 識’という点で説経節的要素がより多く内包していると推し量られる。

以上の事実から<阿弥陀胸割>は<上方版>に比べ説経節的要素(漂泊民

け見物しに来る。 彼等のそのような行動には冷淡さが見受けられる。 このように彼等 から強く窺えられるのは‘漂泊民さよひめに対する村人達の賎視意識’である。 3: 十郎 左衛門はくじ引きの結果、橋の完成の為、人柱を準備しなくてはいけない立場にな り、それで彼は他国から売られて来た大蛇の女を人柱とした。 即ち、大蛇の女が、加 害者(十郎左衛門)の賎視意識から始まった行動で死んでしまった。 そのことから十郎 左衛門の漂泊民である大蛇の女に対する賎視意識が発見できる。 4: さよひめは自分 が亡き父の供養の為に身を売って家を出た。 その為に、母は物狂いになって家を出、つ いには盲目の乞食になったが、その母は子供達に愚弄された。 子供達の行動から、子 供達の漂泊民の母に対する賎視意識が見付けられる。 拙稿, 「<まつらさよひめ>と 説経節<松浦長者上方版>の比較研究」, 前掲書, pp.211-213、 拙稿, 「<さんせう太 夫>小考 -<まつら長者>との比較を中心に-」, 前掲書, pp.364-367 参照。

(13)

への賎視意識)をより少なく内包している作品である。

2.3. 悲嘆感誘発

儒者の太宰春台(1680-1747)は뺷独語뺸で歌念仏や歌説経に近い歌謡化 した説経(説経節とは異質なもの)21)について次の註のように評価した。22) また説経節の語り手の前で観客達が泣いている絵23)が確認されてい る。 また岩崎武夫は“中世の簓説経から近世後期の歌説経に至るまで、

形態やエネルギーにかなりのひらきがあるにもかかわらず、‘哀みて傷る’

ものとしての説経は民衆の中に存在しつづけていた”24)と指摘した。 それ らの点から説経節には観客層․読者層に悲嘆感を誘発させる属性が内 包されていると推測可能である。 これはまた前の引用文(ア)、(イ)から分か るように作品中の登場人物には漂泊芸能民であった語り手の感情が投 影されていることとも密接な関連性があると判断できる。 ここでは説 経節的要素‘悲嘆感誘発’と関連がある‘心の痛みの表現’、‘悲嘆の場面’に ついて検証していくことにする。

21) 岩崎武夫, 뺷さんせう太夫考뺸, 平凡社, 1994, p.21, p.24 参照。

22) “説経といふ者は、もと法師の中に、本説経師といふものありて、仏法の尊きことども を詞に綴り、浮世の無常の哀に悲しき昔物語を演じ、善悪因果の報いある事どもを物 語に作りて、是にふしを付けて哀なるように語りしなり。 鉦鼓をならして拍子取り、世 の婦女に聞かせて、悪を戒め善を勧めて、菩提心を起さしめんとするなり。 … 其の声 も只悲しきのみなれば、婦女これをきゝては、そゞろに涙を流して泣くばかりにて、淨 るりの如く淫声にはあらず、三線ありてよりこのかたは、三線を合はする故に鉦鼓を 打つよりも、少しうき立つやうなれども、甚しき淫声にはあらず、云はゞ哀みて傷ると いふ声なり、淨るりに比ぶれば少しまされる方ならん……” 上揭書, pp.22-23。 筆者は引 用する時、原文に存在した字の横にあった点の代わり字の下に傍線を引いた。

23) 上揭書, pp.11-12。

24) 上揭書, p.25。

(14)

2.3.1. 心の痛みの表現

藤掛和美氏は“説経節では悲劇のどん底に落ちた主人公が再度栄華 に栄えるという話の筋が多く、悲劇の場面に主人公を中心に、登場人 物に対して“あらいたはしや”、“いたはしや”という表現が多く用い られ、語り物としての一種のリズムを奏でている”25)と語り、説経節 の<かるかや>、<さんせう太夫>、<しんとく丸>、<をぐり>、

<あいごの若>、<まつら長者>の説経節の6作品に“あらいたはし や”、“いたはしや”が頻出することを検証した。26) ここではその特徴に 着目し、“あらいたはしや”、“いたはしや”、“いたはしく”、“あらい たはしの”、“いたはしさに”、“あらいたわしや”、“いたわしや”、

“いたはしき”、“いたわしやな”、“いたはしの”、“いたはしなが ら”、等の‘心の痛みの表現’が、<阿弥陀胸割>にはどのくらい現われ ているかを数量的に検証することにする。

筆者は、この‘心の痛みの表現’が説経節(<上方版>、<江戸版뺸>)に おいては、時が流れても不変な核心的説経節的性質であると主張し、

<上方版>の場合、作品中に‘心の痛みの表現’が19個存在することを示 したことがある。27)一方、<阿弥陀胸割>の場合、‘心の痛みの表現’が作 品中に3個存在する。

ところで注意すべきは<阿弥陀胸割>は<上方版>に比べて作品の本 文が短いことである。 そこで作品の総字数を調べてみると<阿弥陀胸割>

は11232字であり、<上方版>は15852字であった。 総字数においては<上 方版>は<阿弥陀胸割>より1.4倍多かった。 それで<阿弥陀胸割>の‘心の

25) 藤掛和美, 前揭書, pp.10-15 参照。

26) 上揭書, pp.11-13。

27) 拙稿, 「<まつらさよひめ>と説経節<松浦 長者 上方版>の比較研究」, 前揭書, p.214 参照。

(15)

痛みの表現’の数3に1.4を掛けると次のように4.2になる。 3×1.4=4.2(個) <上 方版>の‘心の痛みの表現’19個と<阿弥陀胸割>の‘心の痛みの表現4,2 (個)を比べてても<阿弥陀胸割>は<上方版>に比べて‘心の痛みの表現’

の数が極端に少ない。 つまり‘心の痛みの表現’という点で<阿弥陀胸割>

は<上方版>に比べ説経節的要素(心の痛みの表現)を相当に少なく内包 している作品である。

2.3.2. 悲嘆の場面

筆者は悲嘆感を強く誘発させる場面(‘整理した小ストーリー’)28)の 概念を考察したことがあるが、<阿弥陀胸割>において悲嘆感を誘発 させる特性を調べる為に、それを利用することにする。 まず<上方版>、

<阿弥陀胸割>における‘悲嘆の場面’[悲嘆感を強く誘発させる場面(整 理した小ストーリー)]を擧げた後、数量的比較を試みることにする。

A <上方版>の場合

筆者は説経節的要素(悲嘆の場面)は説経節(<上方版>、<江戸版>)に おいては、時が流れても不変な核心的な説経節的性質であると主張 し、<上方版>の場合、悲嘆感を強く誘発させる場面(整理した小ス トーリー)が10個存在することを示したことがある。29)

28) 作品中で悲嘆感を誘発させるものとして、小さい単位から順番に言えば、① 悲嘆感 を引き起こす単語、② 悲嘆感を引き起こす文節、③ 悲嘆感を引き起こす文、④ 悲 嘆感を引き起こす文が一まとまりになったストーリー等、考えられる。 ①、②、③は 数量的に多くこれらで両版を比較するのが難しい。 そこで筆者は④の中で特に悲嘆感 を強く誘発させ、できるだけ話のまとまりがある小さい単位のストーリーを選択し、

それを⑤とする。 さらに⑤をわかり易くする為に簡単にその内容を整理した(これを便 宜上、‘整理した小ストーリー’と呼ぶ)。 また‘整理した小ストーリー’の横にテキストの 記載ページを記した。 本稿では悲嘆感を強く誘発させる場面について両版を比較す るにあたって、この‘整理した小ストーリー’を利用する。 拙稿, 「<さよひめのさうし>

と説経節<松浦長者 上方版>の比較研究」, 前揭書, p.365 参照。

(16)

B <阿弥陀胸割>の場合

1 父母を失った姉弟は袖乞いをするようになったが、在所の人々が 三世の諸仏も見放した者だと門に立たせるな、家に入れさすなと 言った。 姉弟は無惨にも外をさ迷った。 (テキスト阿 pp.132-133)

2 大まん長者の妻が自分には不治の病に苦しむ息子がおり、息子の 病を治す薬にする生肝を必要としていると姉に言った。 長者の妻は良 心的で姉に命が惜しく思ったり、恨めしく思うのだったらこの場か ら去りなさいと言いながら泣いた。 姉も長者の妻に自分が死んだら一 人残された弟が心配だと話して泣いた。 (テキスト阿 p.137)

3 弟が姉に国を出る時、お互いに身を売って菩提を弔おうと、他国に 来たが、姉だけ身を売って御堂を立てたのが羨ましい、自分の身も 売って欲しいと言って泣いた。 姉は弟に自分は身を売ってない、長者の 嫁になるのだと嘘を言い、弟には出家し、この御堂で菩提を弔って欲し いと言った。 弟はそれを信じた。 その姿を見た姉は泣いた。 (テキス

29) ① さよひめが母に父の菩提を弔う為に自分の身を商人に売ったことを告げる。 (テキ スト上 p.358)② 商人は母がいる前でさよひめを強引に家から連れ出そうとする。 (テ キスト上 p.360) ③ 母は物狂いになって家を出、ついには盲になり奈良の都を迷い歩 く。 (テキスト上 p.361) ④ 太夫はさよひめを八郷八村に連れていく道中で彼女を杖で 殴ったが、彼女は父が杖で自分を殴ったと考えれば怨みとは思えないと言う。 (テキス ト上 pp.365-366) ⑤ 家を出発し八郷八村に行く途中、太夫は足の裏より滴る血を見 ても血も涙もないようにさよひめを連れて行く。 (テキスト上 p.369) ⑥ さよひめは女達 から自分が大蛇の生け贄になることを聞いて、太夫に騙されたと感じ泣く。 (テキスト 上 pp.371-372) ⑦ 太夫の女房はさよひめを不憫に思い同情し泣く。 (テキスト上pp.372 -373) ⑧ さよひめは母に手紙を書こうとしたが涙に暮れた為、どう書いていいか分か らなくなり筆を捨て泣く。 (テキスト上 pp.373-374) ⑨ さよひめは太夫から自分が大蛇 の生け贄になることを改めて聞いて、母のことを思って泣く。 (テキスト上 p.374) ⑩ さ よひめは童べになぶられている盲目の乞食の母を見つけ再会する。 (テキスト上 p.386) <上 方版>には‘整理した小ストーリー’が10個確認できた。 上揭書, pp.366-368 参照。

(17)

ト阿 pp.138-139)

上のように<阿弥陀胸割>では悲嘆感を強く誘発させる場面(整理し た小ストーリー)が3個存在する。

上の事実より悲嘆感を強く誘発させる場面(整理した小ストーリー) に関しては<上方版>10個、<阿弥陀胸割>3個である。 <阿弥陀胸割>は<上 方版>に比べて‘悲嘆の場面’[悲嘆感を強く誘発させる場面(整理した小 ストーリー)]の数が相当少ない。 つまり‘悲嘆の場面’という点で<阿弥 陀胸割>は<上方版>に比べ説経節的要素(悲嘆の場面)をより非常に少 なく内包している作品である。

2.4. 漂泊民だった者の復讐30) 及び、漂泊民との同一視による作家 層の心の解放31)

説経節で見付けられる漂泊民だった者が復讐する行為は漂泊性の属 性(説経節的要素)であると十分に推察できる。 と言うのは前の引用文(ア)、

(イ)から分かるように作品中の漂泊民には漂泊芸能民であった語り手 の感情が投影されていると考えられるからである。 実際、‘漂泊民だった 者の復讐’という特性は<まつら長じや(上方版)>、<まつら長者(江戸版)>、

以外の他の説経節作品にも表われていてる。 荒木繁氏は<山椒太夫>、<小 栗判官>、<俊徳丸>等の主人公に対して次の註のように主張した。32)

30) 上揭書, pp.359-362。 上の論文で言及した部分が繰り返し出ることを明らかにして置く。

31) 拙稿, 「説経節<松浦長者 江戸版>の文学的特質」, 前揭書, pp.291-292。 上の論文で 言及した部分が繰り返し出ることを明らかにして置く。

32) “たとえば、뺷山椒太夫뺸 뺷小栗判官뺸 뺷俊徳丸뺸などでは、その主人公たちは、奴隷、

乞食、餓鬼身、癩者といった悲惨のどん底をくぐり抜けて、ふたたび現世における 富貴繁盛を獲得する。 その上で、これまで主人公を迫害した人々への復讎を心ゆくま で果たすのである。 たとえば뺷山椒太夫뺸では、厨子王は山椒大夫の首を息子の三朗

(18)

註32の<山椒太夫>、<小栗判官>、<俊徳丸>等の主人公、厨子王、

小栗、しんとく丸は、作品中で、ある期間、漂泊民であった。 そして漂 泊民であった時の彼等は自分達に迫害を加えた者達に徹底的な復讐を 行なった。

ここでは<上方版>と<阿弥陀胸割>における‘漂泊民だった者の復 讐’の特性が、如何に表われるか検討することにする。

<上方版>では註16から、大蛇は自分を人柱にした八郷八村の人々 を恨み、999年間、999人を食べることで恨みを晴らしてきた。 また大蛇 のうろこの下には99000の虫が棲み、大蛇は身を責める激しい苦しみ を受けていた。 これは大蛇に食べられた999人は成仏できないで大蛇 の体に存在し、彼等は大蛇に復讐してきたと判断される。33) 殊に大蛇に 食べられた999人の中には‘大蛇の餌食になった漂泊民の女達’が存在し たと考えられる。 即ち、‘大蛇の餌食になった漂泊民の女達’は大蛇の 体に存在し、彼女等は大蛇に復讐してきた。 上で確認したように大蛇の

に竹のこぎりで引かせ、つづいて三朗の首を往来の山人たちに七日七夜にわたって 引かせる。 しかしこの残酷に見える復讎も、それまで山椒大夫や三朗が安寿․厨子王 姉弟に加えた暴虐の数々、安寿の無残な死といった犠牲が厨子王の心の中に蓄えた 怨恨と憤怒 - それは同時に聴衆の心のそれでもあった - からしてみれば、けっして残 酷にすぎることはなかった。 … とくに古説経は、この復讎と報恩を律義と言っていい ほど、落とさずに語っているのである。” 荒木繁, 「「解説․解題」」 荒木繁․山本吉左 右(編注者) 뺷説経節뺸, 平凡社, 1986, pp.322-323 参考。 ところで説経節뺷小栗判官뺸の 一つの作品では、小栗は横山攻めをしようとしたが照手の姫の願いを受け入れその 計画を断念したが、三男の三朗に対しては水中に投げる刑罰で殺し、最初に照手の 姫を売った姥に対しては竹のこぎりで首を引いて殺した。 室木弥太郎, 뺷新潮日本古 典集成 説経集뺸, 前揭書, pp.211-298。 また説経節뺷俊徳丸뺸の一つの作品では継母の 首を切って捨てた。 上揭書,pp.155-207。 一方、説経節の主人公の中には自分を苦 しめなかった者までも、復讐する過程で殺した者もいる。 説経節뺷俊徳丸뺸の一つの 作品では、しんとく丸は腹違いの弟の次郎の首を切って捨てたが、次郎はしんとく 丸に対して迫害を全くしなかった。 上揭書, pp.155-207。

33) 田畑真美, 「千年目の姫ー「まつら長者」考」, 뺷富山大学人文学部紀要34뺸, 2001, p.43 14) 参考。

(19)

女と‘大蛇の餌食になった漂泊民の女達’から‘漂泊民だった者の復讐’が確 認できる。

反面、<阿弥陀胸割>では漂泊民は姉と弟だけであるが‘漂泊民だっ た者の復讐’の行動が全く発見できない。

上より<上方版>は<阿弥陀胸割>に比べ説経節的要素(漂泊民だった 者の復讐)をより多く内包している作品であることが分かる。 つまり‘漂 泊民だった者の復讐’という点で<阿弥陀胸割>は<上方版>に比べ説経 節的要素(漂泊民だった者の復讐)をより少なく内包している作品である。

 表 <上方版> <阿弥陀胸割>

復讐した漂泊民 大蛇になる前の女

     無 大蛇の餌食になった漂泊民の女達

また都市の劇場に進出する前の説経節の語り手層は一般的に社会の 底辺層(賎民層)に所属し、悲惨な暮らしをしていた漂泊民であり、そ の為、彼等の中には社会に対して恨みを抱く者もいたであろう。 それで 説経節<上方版>の語り手層は自分達と同一視可能な漂泊民の‘大蛇に なる前の女․大蛇’、‘大蛇の餌食になった漂泊民の女達’を作品中に登 場させ、‘大蛇になる前の女․大蛇’、‘大蛇の餌食になった漂泊民の女 達’が自分達を迫害した者達への恨みを思う存分晴らすことで自分達 が代理満足を得たと判断できる(前の引用文(ア)参照)。

その上、<上方版>の語り手層は漂泊民の‘大蛇になる前の女․大 蛇’、‘大蛇の餌食になった漂泊民の女達’がさよひめによって救われる ことを通して、自分達が代理満足を得られたとみられる。 つまり漂泊民 の‘大蛇になる前の女․大蛇’、‘大蛇の餌食になった漂泊民の女達’がさ よひめによって救われることは、漂泊賎民である説経節の語り手層

(20)

の悲願が成就されたのである(前の引用文(イ))参照)。

さらには<上方版>の語り手層はさよひめと母が漂泊民から長者な り、さよひめが神になることを通しても代理満足を得たと考えられる。

反面、<阿弥陀胸割>の語り手層は漂泊民であった姉が阿弥陀に よって救われ、長者の嫁になることと漂泊民であった弟が僧になる ことを通して、ある程度は自分達が代理満足を得られたと考えられる。

しかし<上方版>のようにたくさんの漂泊民であった登場人物が恨み を思う存分晴らしたり、彼等が救われ幸せにならない。 その上、<阿弥陀 胸割>の話の舞台は日本国外である。 このような観点で<阿弥陀胸割>の 語り手層は<上方版>の語り手層に比べて自分達と同一視可能な漂泊民 の登場人物をより多く登場させて、彼等が恨みを思う存分晴らした り、また彼等が救われ幸せになることを通して代理満足を得ようと する意識が弱かったと判断できる。

上記より<上方版>は<阿弥陀胸割>に比べ説経節的要素(漂泊民との 同一視による作家層の心の解放)をより多く内包している作品である ことが分かる。 つまり‘漂泊民との同一視による作家層の心の解放’とい う点で<阿弥陀胸割>は<上方版>に比べ説経節的要素(漂泊民との同一 視による作家層の心の解放)をより少なく内包している作品である。

3. 孝意識と菩提意識

<阿弥陀胸割>と<上方版>は少女が既に亡くなった親の菩提の為に 自分の身を売り孝行する話である。 しかし<阿弥陀胸割>と<上方版>

においては孝意識と菩提意識に差異が見付けられる。 ここでは<阿弥 陀胸割>、<上方版>の孝意識と菩提意識の特徴を比較分析すること

(21)

で、説経節文学の孝行話の特質の一部を究明することにする。

3.1. ‘孝’と‘菩提’が含まれた言葉の現われ方と菩提の方法

まず<阿弥陀胸割>と<上方版>に現われる‘孝’が含まれた言葉に着 目し、その部分を作品から書き出してみることにする。

A <上方版>の場合

① これひとへに親孝行の志を、(テキスト上 p.388) ② 昔も今も、親に孝あ る人は、(テキスト上 p.389) ③ 不孝のともがらは、諸天までも加護なし。 (テ キスト上 p.389) ④ 生きたる親には申すに及ばず、なきあとまでも孝行を尽す べし。(テキスト上 p.389)

上のように‘孝’が含まれた言葉が本文から4個発見できる。 その内、‘孝’

という言葉が親孝行を奨励するのに使われているものは、①、②、

③、④の全てである。

 

B <阿弥陀胸割>の場合

‘孝’が含まれた言葉が本文から全く発見できない。

ところで<阿弥陀胸割>と<上方版>の本文の長さを考慮してみる と、<阿弥陀胸割>では11232字、<上方版>では15852字で、<上方版>が

<阿弥陀胸割>より約1.4倍字数が多い。 それで<阿弥陀胸割>の‘孝’が含 まれた言葉の数は、0個×1.4=0個となる。 <上方版>の‘孝’という言葉で親 孝行を奨励している数4個と<阿弥陀胸割>の‘孝’という言葉で親孝行 を奨励している数0個である事実から、<阿弥陀胸割>は<上方版>に 比べて‘孝’という言葉で親孝行を奨励してないことが分かる。

次に<阿弥陀胸割>と<上方版>に現われる‘菩提’が含まれた言葉に

(22)

着目し、その部分を作品から書き出してみることにする。

A <上方版>の場合

① 菩提を問ふべき頼りもなし (テキスト上 p.352) ② 親の菩提と申せしは、

(テキスト上 p.352) ③ 菩提を弔はんと思ひ (テキスト上 p.353) ④ それ親の菩 提を問ふといふは、(テキスト上 p.353) ⑤ 親の菩提を問はんため (テキスト上 p.357) ⑥親の菩提と聞くからは(テキスト上 p.357) ⑦父の菩提を悲しみて (テ キスト上 p.357) ⑧ 父の菩提のためなれば (テキスト上 p.367) ⑨ 自らは父の菩 提を問はんため (テキスト上 p.380)

上のように‘菩提’が含まれた言葉が本文から9個発見できる。 その内、

‘菩提’という言葉で菩提を奨励するのに使われているものは、②、

④、⑤、⑦、⑧、⑨の5つである。

B <阿弥陀胸割>の場合

① おやのぼだいをとふらふには (テキスト阿 p.133) ② そのぼだいをとふべき やうの p.136 ③ をやのぼだいをとふらはんとて p.138 ④ しゆつけになり、ぼだ いをふかく p.139 ⑤ ほたいをふかくとい申さんと p.139.

上のように‘菩提’が含まれた言葉が本文から5個発見できる。 その内、

‘菩提’という言葉で菩提を奨励するのに使われているものは、①、

②、③、④、⑤の5つである。

上で確認したように‘菩提’という言葉が菩提を奨励するのに使われ ているものは<阿弥陀胸割>では5個、<上方版>では5個、本文から見つ けられる。 ところで上でみたように<上方版>は<阿弥陀胸割>より約1.4 倍字数が多い。 それで<阿弥陀胸割>の‘菩提’という言葉で菩提を奨励す るのに使われている言葉の数は、5個×1.4=7個となり、<上方版>の5

(23)

個と比べて140パーセントに当たり40パーセント増えていることが分かる。

今度は菩提の方法について調べていくことにする。

A <上方版>の場合

下の引用文から父の菩提の為、さよひめと母は数多くの僧にお願い して父の供養をしたことが分かる。

… あまたの御僧供養して、よきに追善をなしたまふ。 (テキスト上 p.357)

B <阿弥陀胸割>の場合

弟は姉に菩提について次のように言った。

それ、よにある人の、おやのぼだいをとふらふには、かんはらみつの、くや うとて、大河にはふねをうかべ、小河にははしをかけ、だうをたて、とうをく み、とふらふときいてあるが、(テキスト阿 p.133)

姉は長者に父母の菩提について下記のように語った。

… とてもをやのためなれば、七間四めんに、こがねだうをたてさせて、ほん ぞんに、あみだの三ぞんを、そなへたまわるものならば、いきゝもをまいらす べしと、申さるゝ (テキスト阿 p.138)

また姉は弟に父母の菩提について下のように話した。  

… 御身はこのみだうにて、しゆつけになり、ぼだいをふかく、といたまへや  (テキスト阿 p.139)

(24)

上のように<阿弥陀胸割>は<上方版>に比べて多様な菩提の方法を 提示していることが分かる。 これは菩提の為には徳積みが大切である ことを示しているとも考えられる。 結果的には<上方版>では数多く の僧にお願いして父の供養をし、一方、<阿弥陀胸割>では、こがね だう、あみだの三ぞんを建立することで父母の供養をした。

3.2. 孝․功徳の力を強調

3.2.1. 結末部分での強調34)と孝行者を援助する存在 A <上方版>の場合

話の結末部分に登場人物でない語り手が語る部分が次のようにある。

⑴ これひとへに親孝行の志を、諸天哀れみたまひける。 (テキスト上 p.388)

⑵ 昔も今も、親に孝ある人は、このこと夢々疑ふまじ。 不幸のともがらは、

諸天までも加護なし。 生きたる親には申すに及ばず、なきあとまでも孝行を尽 すべし。 (テキスト上 p.389)

上の引用文⑴、⑵を読み返せば、<上方版>には天が親孝行の志に 感動すれば援助してくれるといった強い考えが窺える。 それで<上方版>

のさよひめは天が親孝行の志に感動すれば援助してくれるといった 考えを所有していたので亡き父に対して犠牲的な孝を徹底できたと 納得できる。 また引用文2では“生きたる親には申すに及ばず、なきあと までも孝行を盡すべし。”とある。 さよひめは生きている父ではなく死 んだ父に親孝行したが、上の文から生きている親には‘親孝行を当然

34) 拙稿, 「說経節<松浦長者>にみられる‘救濟者さよひめ’」, 뺷日語日文學研究뺸 第65輯 2卷, 韓國日語日文學會, 2008, pp.227-229。 上の論文で言及した部分が繰り返し出る ことを明らかにして置く。

(25)

するべきだ’ということが讀み取られる。 このような観点で、<上方版>

はさよひめが生きている父ではなく死んだ父に親孝行することで、

生きている親には親孝行を当然すべきことを强調した作品だと認識 できる。 さらに天が親孝行の志に感動すれば、援助してくれるという ことを敎えている作品だと判斷できる。 また“不孝のともがらは、諸天ま でも加護なし。”となっている。 つまりもっと積極的に親不幸者には天上 界の神仏までも保護をしないということを强調した作品でもある。 実際、

彼女は大蛇に食べられそうになった時、彼女は父の形見の法華経を読 誦することで命が助かった。 これは法華経の功徳の力と共に、彼女の 孝行の志に天が感動して援助してたとも考えられる。 さよひめには、この ような天を感動させる親孝行の志があったので彼女は、母、太夫夫 婦、八郷八村の人々、大蛇、家を救済し、自分自身は大往生し弁才天 (神的存在)になれたと考えられる。 そのような点でさよひめの孝行心 が作品の中で一番重要であることを意味していると言える。

B <阿弥陀胸割>の場合

話の結末部分に登場人物でない語り手が語る部分が下のようにある。

てんじゆのひめの、くりきにより、二しんのをやも、うかみあからせたまひ つゝ、いきやうくんじ、はなふりくだれば、ありかたきともなかなか

申はかりはなかりける (テキスト阿 p.141)

上の引用文で、てんじゆの功徳の力で父母が成仏したと記述されて いる。 具体的には、てんじゆは菩提を弔う為、こがねだう あみだの 三ぞんを建立した。

結末部分に登場人物以外の語り手が語る部分は特に語り手が直接的

(26)

に強く強調したい部分だと考えられる。 <上方版>では‘天が孝に感動’

という意味で強調しているのに対して<阿弥陀胸割>では‘功徳の力’と いう意味で強調している。

また<上方版>では生きている親にも当然親孝行すべきことを强調 した作品だと認識できる反面、<阿弥陀胸割>では生きている親に対 する親孝行については全く述べてないし強調もしていない。

次に孝行者を援助する存在について調査することにする。

A <上方版>の場合

春日の明神がさよひめの祈り聞いた後、春日の明神が太夫を哀れに 思ってさよひめのいる所に太夫を導いた。 またさよひめが法華経を讀 むことで彼女を食べようとした大蛇が成仏する。 そしてさよひめは母 に再会し大蛇からもらった如意宝珠で母を開眼させ、さよひめの家 は再び長者になり末繁盛する。 このような一連の出来事が全て良い方 向に進むように諸天が孝に感動して導いた。 つまり諸天がさよひめの 孝に感動して助けたのである。

B <阿弥陀胸割>の場合

姉弟が父母の菩提を弔う為に自分達の身を買ってくれる人を教えて くれと阿弥陀に祈ったところ、阿弥陀が姉弟に長者の存在を教えた。

そして姉は生き肝を捧げたが阿弥陀が姉の身代わりになってくれ彼 女は死ななかった。

大まんは、御らんじて、ふしきにをもひ、とひらをあけて、見たまへば、なか のあみだのむねよりも、御ひざのうへまで、あけのちしほぞ、ながれける 大まん は、御らんじて、さては御身に、かはらせたまふぞや、…(テキスト阿 p.141)

(27)

それと姉の‘功徳の力により’としか記述されているだけで明確では ないが、仏天だと推測できる存在が父母の成仏を助けたと考えられる。

てんじゆのひめの、くりきにより、二しんのをやも、うかみあからせたまひ

つゝ、… (テキスト阿 p.141)

また長者は父母の菩提を弔う為に身売りを決意した姉を良心的に心 から助けようとした(長者は弟を自分の子だと思って弟に財産を半分 与えると姉と約束した。 少女を嫁にした)。

以上の事実より<上方版>では諸天、<阿弥陀胸割>では阿弥陀、長 者、仏天だと推測できる存在が孝行者を援助していることが分かる。

特に<阿弥陀胸割>は<上方版>に比べて阿弥陀という神的存在と長者 といった具体的で特定の存在が親孝行に好感をし、親孝行者に援助し ていることが分かる。

3.3. 孝の矛盾性35) A <上方版>の場合

さよひめが自分の身を売ったことを母に話した時、母は次のよう に悲しんだ。

⒜ … 「これは夢かや現かや。 さても御身は身を売り足ると申すかや。 あら情

けなき次第」とて、… (テキスト上 p.358)

⒝ 「こはいかなる次第ぞや。 長者に離るるにと、よになきことと嘆きしに、

又御身も別れなば、自ら何となるべき」と、「あら恨めしの浮き世や」と、もだ

35) 拙稿, 「뺷坪坂縁起絵巻뺸硏究 - 뺷まつら長じや(上方版)뺸と뺷さよひめのさうし뺸との比 較を中心に」, 뺷열린정신 인문학 연구뺸, 16(2) 2015 pp.181-185。 上の論文で言及した部 分が繰り返し出ることを明らかにして置く。

(28)

え焦がれ泣きたまふ、 (テキスト上 p.358)

また、さよひめは自分が大蛇の生け贄になることを聞いた後、自身 の亡き父の供養の為の身売りの行為が、親の為であると語っている。

⑴ 哀れ自らも、父の菩提のためなれば、かやうに名をこそ残さめ」と、涙と

とも に急がれける。 (テキスト上 p.367)

⑵ 父のためと思へば、恨みと更に思はぬなり。 (テキスト上 p.374)

⑶ 自らは父の菩提を問はんため、身を売り、これまで参りつつ、…

(テキスト上 p.380)

上のさよひめが語った内容⑴、⑵、⑶と、母の語った内容 ⒜、⒝、

さらには母が非常に悲惨になる姿(母は目を泣きつぶし物狂いになり 家を出た。 そして母は乞食の盲目になって童べになぶられた)から判断して、

さよひめの孝行が本当に親孝行と認めて良いのかという疑念を抱か せられる。

B <阿弥陀胸割>の場合

少女の孝行により悲惨になる人物は全く現われない。 そして少女の 孝行に批判的に語る人物も全然現われない。

以上、確認したように<阿弥陀胸割>は<上方版>と比べると少女は 親孝行なのかという疑念を全く強く抱かさせてない。 即ち、<上方版>

は<阿弥陀胸割>より相対的に少女の亡き親に対する孝の矛盾性が非 常に強く表われていることが分かる。 これは<上方版>には発見できな い<阿弥陀胸割>の見逃せない特性である。

(29)

3.4. 教育的意味

3.4.1. 孝行心と信仰心36)、及び、成仏による孝成就

<上方版>において、さよひめは16歲の時、母から亡き父の13年に 当たる年に父を供養する方法がないと聞き自分の身を売って父の供養 をしようと決心する。 さよひめは春日の明神に自分を買う人と会わせ て欲しいとお参りをした。 その後、さよひめは興福寺の僧から親の菩提 を弔う為に、自身を犠牲にし身を売っても良いという説法を聞いた。

人々も興福寺の僧の、その説法(親の為に身を売ることは大善根)を聞 いて、親の為に身を売ることは尤もだと認めた。 ここで注目すべきは、

さよひめ一人だけではなく、より多くの人々が納得することを示す ことで、さよひめの犠牲孝を正当化しようとする意図が読み取られ る。 ある時、興福寺にさよひめがお参りに行った時、門のわきの高札 (器量の良い女子を高く買うと書かれていた)を見て、さよひめは直ち に自分の身を売ろうと思ったが母が泣くだろうと考えて家に戻った。

ところで春日の明神は太夫を不憫だと思いさよひめに会えるように 導いた。 さよひめは太夫が自分を買う為に訪ねて来たことを春日の明 神の計らいだと考え、さよひめは太夫に自分の身を売った。 上のよう にさよひめは何か見えない不思議な力に手引きされていると感じ て、親の菩提を弔う為に身を売っても良いと、より確信したのであろ う。 ここにさよひめの信仰による孝行心の強まりが見付けられる。

一方、<阿弥陀胸割>において、姉弟が父母の菩提を弔う為に自分 達の身を買ってくれる人を教えてくれと阿弥陀に祈ったところ、阿 弥陀が姉弟に長者の存在を教えた。 姉弟は阿弥陀が教えた通り行くと 長者に会えた。 長者は父母の菩提を弔う為に身売りを決意した姉と共

36) 拙稿, 「뺷さよひめ뺸硏究」, 뺷日本文化硏究뺸 第37輯, 동아시아일본학회, 2011, pp.397 -398。 上の論文で言及した部分が繰り返し出ることを明らかにして置く。

(30)

に弟を心から助けようとした。 この一連の流れから姉は導かれているこ とを感じて、親の菩提を弔う為に、自分を犠牲にして身を売っても良 いということをより確信したのだろう。 ここに姉の信仰による孝心 の強まりが発見できる。

上で注目すべきは両作品とも信仰心と関連した後世まで考えた孝か ら出発していることである。 そして両作品とも少女の信仰心が基礎と なり少女は孝行を実施した。 少女は孝行心と信仰心、両方あることで 孝行を実施できた。 即ち、孝行心と共に信仰心の重要性も強調してい ると言える。

また<上方版>と<阿弥陀胸割>の少女は親の菩提を弔う為に自分の 身を売る話である。 そのような点で親の菩提を弔った後の結果が大切 だと言える。 ところが<上方版>では父の菩提を弔った後、亡き父の結果 (成仏したかどうか)についての記述が全くない。 しかし<阿弥陀胸割>

では亡き父母は最終的に成仏している。

てんじゆのひめの、くりきにより、二しんのをやも、うかみあからせたまひ つゝ、いきやうくんじ、はなふりくだれば、ありかたきともなかなか申はかり

はなかりける (テキスト阿 p.141)

そのような観点で<阿弥陀胸割>の少女は亡き父母(両親)に対する親 孝行を本当の意味で完全に成し遂げた(成仏させた)人物と評価できる。

その点で<阿弥陀胸割>は<上方版>に比べて享受者に対する孝․信仰 の教育的効果がより期待できる。 これは<上方版>には発見できない<阿 弥陀胸割>の注目すべき特性だと考えられる。

(31)

3.4.2. 姉弟の孝行の特徴

<上方版>のさよひめは神夢により誕生し話が進むにしたがって、

さよひめの神性的要素(神の属性的要素)が強まって最後にはさよひめ が竹生島の弁才天(神的存在)になる。37) 即ち、さよひめには孝行心を 含めた他の超越性が存在する特別な人物である。 反面、<阿弥陀胸割>で は姉弟は仏罰を受けて死んだ父母の子、即ち、罪人の子であり、幼弱 で孝行心以外の超越性は見つけられない。 さらに姉弟は成仏したりと か神にはならない。 <阿弥陀胸割>には少女の孝行心以外の超越性を発見 できないことは、超越性を持たない普通の人でも親孝行を実行すれ ば、奇特が起きたり仏罰を受けて死んだ父母でも成仏させれること を物語っていると考えられる。 即ち、誰でも努力すれば少女のように親 孝行が可能であるという意味が含まれている。 それで当時の作品の享 受者の大部分は普通の人であったと推測できるので、彼等に親孝行を 奨励し、やる気を持たせるのに、<上方版>に比べて<阿弥陀胸割>の 方がより効果的だと判断できる。 これは<上方版>には見付けられない

<阿弥陀胸割>の注目すべき特性である。

また<阿弥陀胸割>において孝行心のある子供全て(姉弟)が助け合 い罪人の父母に親孝行する話として注目すべきである。 なぜなら<上方版>

では少女一人だけの孝行話であるが、<阿弥陀胸割>では姉弟(少女、

少年)の孝行話であるからである。 次の引用文は弟の孝行心の深さを示

37) さよひめには下のように主な神性的要素が8つ確認できた。 1 さよひめは父母が観音 に子供を授けてくれることを願い、観音が父母の夢にあらわれ、子供の誕生を告 げ、その後、さよひめが誕生した。 2 さよひめが七歳の時、既に彼女の神性が発見で きる。 3 さよひめが大蛇から如意宝珠をもらうことで神性を獲得するようになる。 4 さ よひめが85才で大往生した時の不思議な様子。 5 孝をさせる為の神的存在の導き。 6 さよひめの怨讐を恨まず慈悲を施そうとする心。 7 さよひめの救済者としての能力。

8 さよひめは竹生島の弁才天になった。 拙稿, 「뺷ちくふしまのほんし뺸考」, 뺷인문과학연 구뺸 23, 인문과학연구소, 2014, pp.97-100 参照。

(32)

していると言える。

われわれが、くにをいでしときは、たがいに身をうりて、をやのぼだいをと ふらはんとて、このいづくともなき、たこくへきたり、身をうりて、かように みだうを、たてさせたまふこそ、うらやましけれ、みづからも、うりたまはぬ

かとて、なきたまふ (テキスト阿 p.138)

特に弟の孝行心に注目すべきことは弟も出家していることである。

姉が弟に出家し父母の菩提を弔って欲しいと話した。 その後、弟は姉 の言うことに従って出家したのである。

御身はこのみだうにて、しゆつけになり、ぼだいをふかく、といたまへや  (テキスト阿 p.139)

これは弟の孝行心の強さと共に弟の父母の菩提に対する心情が姉と 一つになっていることを意味している。

以上のことより<阿弥陀胸割>は兄弟姉妹の全てがお互いに助け 合って行なう親孝行を奨励している物語だと判断できる。 これは<上 方版>には発見できない<阿弥陀胸割>の注目すべき特性だと考えら れる。

そして<阿弥陀胸割>では長者は弟を自分の子だと思って弟に財産 を半分与えると姉と約束した。

… それがしも、あの松若よりほかは、子はもたず、まつわかゝおとゝにし、

たからをはんぶんわけて、ゑさすべしと、ねんごろに、のたまへば …

(テキスト阿 p.138)

しかし弟は出家した。 その上、<阿弥陀胸割>では姉は長者の嫁にはな

참조

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