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静岡県の朝鮮通信使 ―山号・寺号額を中心にして―

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Academic year: 2022

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静岡県の朝鮮通信使

―山号・寺号額を中心にして―

朝鮮通信使研究家 北村 欽哉

静岡県にはミカンやお茶の生産額など、いろいろな「日本一」がありますが、

ほとんど知られていない「日本一」が実は「朝鮮通信使が揮毫した扁額の数」

です。扁額とは、長方形の板に文字を刻んだもので、静岡市清水区興津清見寺 町の清見寺にある「興國」の扁額=写真=も有名な1枚です。記録だけ残るも のも含めれば、県内で 30 枚になります。ここ では、それらのうちの寺院の山号・寺号の扁 額を取り上げて、朝鮮通信使の意義を考えた いと思います。

今から 20 年近く前、高校の教員時代ですが、

部活動で旧清水市内のお寺の山号・寺号を調 べていた時に、三保の松原に近い萬象寺(清 水区駒越西)で無名の扁額に出会いました。

よく見ると、「萬象寺」という寺名以外に「朝鮮」という小さな文字が陰刻され ているのです。どうしてこんなところのお寺の扁額に「朝鮮」という国名が刻 まれているのでしょうか。私は大いに驚き、住職にお尋ねしましたが、住職は 全く分からないとのこと。扁額の左下には「雪月堂」とありますが、こちらに ついても誰のことか、住職は全く見当がつかないとのことでした。

この扁額が元禄年間に作られたことは分かっていました。江戸時代で朝鮮と いえば、朝鮮通信使が思い浮かびます。早速、通信使の資料を調べると、雪月 堂とは天和度の通信使の写字官、李三錫のことだと分かりました。通信使揮毫 の扁額の新発見でした。

これがきっかけとなり、ほかにも通信使ゆかりの扁額があるのではと探して みると、今度は山に近い牛欄寺(同区梅ケ谷)で、雪月堂の揮毫した扁額が見 つかりました。こちらも元禄年間です。両寺とも東海道からは遠く離れていて、

通信使に揮毫してもらうチャンスはなかったはずです。共通点を探すと、どち らも臨済宗妙心寺派の寺院で、静岡駅前の宝泰寺(葵区伝馬町)の末寺でした。

宝泰寺は朝鮮通信使が昼食をとった所です。昼の休憩時間に揮毫してもらっ たと推定しました。末寺の萬象寺や牛欄寺の分もお願いしたのでしょう。

最近、萬象寺の扁額の裏面を確かめる機会がありました。「元禄十五」年(1702 年)の文字がありました。牛欄寺の扁額作成は元禄五年(1692 年)で 10 年前。

さらに 10 年さかのぼると、朝鮮通信使が来日した天和二年(1682 年)、即ち揮

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毫してもらった年になります。

となると牛欄寺は揮毫をもらった 10 年後に、通信使来日 10 周年を記念して 扁額に刻み、さらにその 10 年後には、萬象寺が来日 20 周年記念で扁額に刻ん だのではないでしょうか。

それにしても、市内のあちらこちらの寺院の扁額に「朝鮮」の文字がありま す。信徒が反対すれば刻まれるはずがありません。江戸時代の庶民は、朝鮮に 対し、昨今のような違和感を抱いていなかったばかりか、通信使の揮毫による 扁額を歓迎したことを強く感じました。

さらに思いを馳せれば、萬象寺扁額のスポンサーは寺の近くの農民です。住 職や庶民たちが誰に命令されたのでもないのに自主的に朝鮮通信使の記念事業 を行ったことがわかります。静岡市は朝鮮通信使ブームが江戸時代を通じて続 き、その足跡を確認できる貴重な町と言えるのではないでしょうか。

(きたむら・きんや)

①清見寺

②牛欄寺

③萬象寺

④真珠院

⑤光増寺

⑥常円寺

⑦海岸寺

⑧善原寺

참조

관련 문서