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第4章 終末観と日本の核認識─『洪水はわが魂に及び』─

 大江が核というモチーフを初めて長編作品で取り扱ったのは、1973年9月に書き下し作品と して刊行された『洪水はわが魂に及び』上‧下(新潮社)にてである。『洪水はわが魂に及 び』は、5歳の白痴の息子・ジンと武蔵野台地に設置した核避難所に暮す主人公の大木おおき

勇魚いさなと、「自由航海団」と名乗る若者グループが接触することで物語は展開しはじめる。主 人公の大木勇魚という名前は本名ではないが、自身が「この世界でもっとも善きもの」96)とす る樹木と鯨のための代理人を自認する勇魚は自らその名前を名乗っていた。「樹木の魂」と

「鯨の魂」と交感しながらジンと暮していた勇魚は、ある日、特別な思想や政治的な概念を 持たない「自由航海団」の若者たちから、自分たちのしていることを言葉にする人間、つまり 言葉の専門家としてグループのメンバーに加わるよう説得させられ、半ば強制的に行動を共に するようになる。共に行動しながら時間を経て勇魚はリーダー格の喬木たかきをはじめ、ジンの世話 をする伊奈子などと心を通わせていくが、その結末はメンバー二人の死によって武装ゲリラ集 団とみなされた「自由航海団」が核避難所に立てこもることで、機動隊との武力衝突へと発 展していく。ジンを連れて喬木、伊奈子、そして医学部出身のドクターの四人は投降すること で生き残り、勇魚はほかのメンバーと核避難所に残りそれぞれ最期を迎える。

『洪水はわが魂に及び』が発表される前年の1972年2月に連合赤軍による人質立てこもり 事件、いわゆる浅間山荘事件が起こった。青年グループの仲間に対するリンチ殺人と武装 化、そして機動隊との武力衝突という浅間山荘事件の連合赤軍を想起させる「自由航海 団」という若者グループの籠城事件が作品の枠組みとなっている背景に、『洪水はわが魂に 及び』発表直後の論考では、なぜ連合赤軍の枠組みの中で語られなければならなかったの か97)など、作品と浅間山荘事件との関係性を指摘するものが多く見られた。98)しかし、『洪

96)::大江健三郎(1996)「洪水はわが魂に及び」『大江健三郎小説4』新潮社、p.10。以下、本章における大江健三郎 (1996)「洪水はわが魂に及び」『大江健三郎小説4』新潮社からの引用は頁数のみ記載する。

97) 真継伸彦(1973)「終末観と自己回復 大江健三郎『洪水はわが魂に及び』」『文芸』12(12)、p.195。真継は本論 にて、大江が現実に起った単に酷たらしいだけであったかもしれない連合赤軍事件を取り入れることで独特の作品にし独自

の「幻ヴィジョン」を注ぎ込んだと評しながらも、以下のように疑問を投げかけている。「大木父子が呈出することの本質的な主題

水はわが魂に及び』の構想が1967年からすでに練られていたこと、「自由航海団」のような アナーキーな若者集団についても既に具象化されていたことを、桒原文和が「大江健三郎と 原子力、そして天皇制」(2012)の中で明らかにしている。99)偶然にも「自由航海団」と機 動隊との武力衝突という大江の構想は、連合赤軍の浅間山荘事件という現実と符合した。こ のような事象は、同時代的な背景のもと、大江の構想に至る要因が現実社会に既存し『洪 水はわが魂に及び』が刊行される時期に思いかけず具現化されたと考えるべきであろう。「自 由航海団」という青年グループと現実の連合赤軍が起した浅間山荘事件とを複合的に考察 することで、大江がどのように当時の社会を見据えていたのか推しはかることは可能であろう。

また、「自由航海団」の活動を中心に物語は展開されていくが、父親と白痴の息子という 父子関係、鯨、迫りくる核の危機と世界の終末というモチーフは、大江作品において目新し いものではない。『洪水はわが魂に及び』を読み解くに当っては、作品の発表された1970年 代はじめという時代背景にこれらのモチーフを照らし合わせる必要があるだろう。本章では『洪 水はわが魂に及び』における核避難所、「自由航海団」の表象に着目しながら、1970年 はじめの大江の核意識がどのように描かれているのか考察していく。

1. 核避難所がもたらす危機

主人公の勇魚と息子のジンが暮す核避難所は、もともと「怪」というあだ名をもつ勇魚の妻 の父直径の建築会社が、米国の核避難所ブームに倣いその規格品を生産、販売しようとし

が、どうして連合赤軍事件の枠組みの中で語られなければならなかったのだろう?」

98)::上述の真継伸彦の論考のほか、笠原芳光(1973)「破壊における救済=大江健三郎『洪水はわが魂に及び』小論」

『びーいん』25(11)、松原新一(1973)「久しく待ち望んだ本格小説 大江健三郎『洪水はわが魂に及び』」『群像』

28(12)、柴田勝二(1990)「幻視される自然─大江健三郎『洪水はわが魂に及び』について」『山口大学文学会志』

(通号41)山口大学文學会では、「自由航海団」と連合赤軍を関連付けて言及を行っている。

99) 桒原文和(2012)前掲書、pp.51-54参考。本稿にて桒原は、大江が自身の作品が実際の事件を予言したように働いたこ とが二度あったとし、連合赤軍と『洪水はわが魂に及び』(1973)、オウム真理教と『燃え上がる緑の木』三部作 (1993-95)を挙げていると述べている。その根拠として1997年5月10日に行われた講演「宗教的な想像力と文学的な想像 力」の記録(『鎖国してはならない』(2001、講談社)所収)から以下のような大江の言葉を紹介している。「私は六九年か ら『洪水はわが魂に及び』を構想し、政治的にはアナーキーな若者の集団が、商業的な見本として造られた民間向けの 核シェルターに閉じこもり、機動隊に包囲されて銃撃戦を行うシーンまで、数年かけて書き進めていました。そのような日のあ る朝、テレヴィの臨時ニュースによって、武装した活動家の一団が別荘地に籠城し、機動隊と銃撃戦を行っている情景を見 たのです。(後略)」

たものであったが、企業化が成功しなかったため武蔵野台地に放置されたままになっていた。

勇魚はかつて保守政党の政治家であった「怪」の秘書をつとめるとともに、彼の建築会社で 宣伝企画も担当していたが、当時生きることを拒むように自傷行動をとっていたジンにつられるよ うにして抑うつ状態に陥る。うつ状態に苦しむ勇魚は、自分とジンの生命的な危機を感じ、救 済の場に逃げ込むかのように核避難所での隠遁生活を始めた。勇魚がうつに陥った原因は二 つある。一つは、勇魚には「怪」との出張先で少年を殺めた過去があった。ジンの自殺行 為とも思える振舞いが自身への懲罰だと考えた勇魚は、ジンを守るために核避難所へこもった のである。そして二つ目は、勇魚が核に対し強い脅威を抱いていたためである。かつて核避 難所メーカーの宣伝をしていた勇魚は、核の危険性を理解すると同時にその核避難所の安全 性に対する不分明さを感じていた。核避難所を宣伝しながらも、そこには「マヤカシ」があると 認識していた勇魚は「たとえ核シェルターで命が助かっても放射能のただなかでどう生き延びて 行くかとういようなことは、おれたち自身にもあいまいだった」(p.249)とその不安を語っている。そ の後も、核避難所により核爆発から一時的に直接的な被害を免れることができても人類が生き 延びる可能性について、勇魚は懐疑的であったといえよう。そして、皮肉にも物語の終盤で勇 魚を含む「自由航海団」の若者たちは、核避難所に籠城することで自ら死を招くという結果 に至った。核避難所は彼らの救済の場にはならなかったのである。

核避難所の解釈として、『万延元年のフットボール』における根所家の「倉屋敷」のよう に、大江の作品には平面的な同心円と立体的な中心を持つ一本の巨木のような「「中心」

的構造」があると指摘した若桑みどりは、『洪水はわが魂に及び』においても同様の構造が 図式的に見てとれると考察している。100)若桑は、核避難所の地下室にある穴を勇魚が「根 付」きたいと考え核から守られている唯一の場所とし、さらにそこがジンの存在によって「聖 域」と化していると分析している。101)しかし、核避難所という建物と、その地下室に掘られた

100) 若桑みどり(1983)「家族系統樹ファミリー・トリーから宇宙木へ─もしくは象徴としての植物的世界─」『国文学:解釈と教材の研究』28 (8)、學燈社、pp.64-66参考。大江が植物の中でも一貫して樹木に関心を持っていることに着目した若桑は『万延元年の フットボール』の蜜三郎と鷹四の実家を図式的だと指摘し、平面においては同円心、立体面では「中心」を持つ上下構 造をなしているとする。「倉屋敷」を「中心」とし、周囲は「谷」から「森」へ、土の下には「地下倉」という巨木のよう

100) 若桑みどり(1983)「家族系統樹ファミリー・トリーから宇宙木へ─もしくは象徴としての植物的世界─」『国文学:解釈と教材の研究』28 (8)、學燈社、pp.64-66参考。大江が植物の中でも一貫して樹木に関心を持っていることに着目した若桑は『万延元年の フットボール』の蜜三郎と鷹四の実家を図式的だと指摘し、平面においては同円心、立体面では「中心」を持つ上下構 造をなしているとする。「倉屋敷」を「中心」とし、周囲は「谷」から「森」へ、土の下には「地下倉」という巨木のよう