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江戶武家屋�の庭園の立地

문서에서 The Theory of Tokyo in the 20 (페이지 32-35)

庭園都市としての20世紀の東京論

2. 江戶武家屋�の庭園の立地

分析の結果を表1,3�び図1に示した。江戶武家地由来の庭園の立地形態については崖線 型が�体の約7�を占めている。江戶期の庭園に関する既往研究の内、白井彦衛・貫井文雄

・竹林昭廣『東京の池泉庭園の変�に関する研究-水源の変�を対象として-』13)や飛田

範夫『江戶の庭園-将軍から庶民まで』14)では、江戶武家屋�の庭園について山手では�

水、低地の水辺では河川水、海水を利用するなど立地する�境によって多様な庭園像が形 成されていたことが示されている。特に斜面とその�水を利用した庭園が多かったことが 分かっており、崖線上に立地することはその恩恵を最も享受することができたと考えられ る。すなわち現存する庭園�びその痕跡は庭園立地におけるその時代的特徴を目に見える かたちで留めていると言えよう。また、武家地に重ならなかった研究対象と比べて、低地 に立地するものが多く、そのほとんどが隅田川沿いや海沿いといった水辺に位置している ことも特徴として挙げられる。崖線型に比べると数は少ないが、江戶武家屋�の庭園の特 徴を示す貴重な残存事例と言える。

3. �代に新たに作られた邸宅庭園の立地

分析の結果を表1,3�び図1に示した。江戶武家地に重ならなかったその他の(�代に新 たに作られた)庭園の立地形態については、江戶武家地由来の研究対象と同様に崖線型が 最も多かった。また、崖線型、台の端型、�地型-台地上によって約9�が占められている ことも特徴として挙げられる。先�したように、�代東京の邸宅庭園の立地形態に関して は、田中が20世紀初頭に��正一によって書かれた『名園五十種』に掲載された43庭園を 分析し、大部分が台地と斜面(崖線型)、台地上(�地型-台地上)、台の突端(台の端型)である

ことを示している。15)さらに、土屋も20世紀初頭に連載された『東都茶会記』に記録され

た邸宅庭園に分析し、台地に分布するものが多かったこと、その中でも特に斜面を有すも

のが多かったことを示している。16)すなわち崖線型、台の端型、�地型-台地上が多いこと

は20世紀初頭における�代東京の邸宅庭園の立地形態としての特徴をよく表していると言 えよう。

13) 白井彦衛・貫井文雄・竹林昭廣(1983) 。東京の池泉庭園の変�に関する研究-水源の変�を対象として-

。千葉大学園芸学部学�報告,32,67-79 。

14) 飛田範夫(2009) 。江戶の庭園-将軍から庶民まで 。京都大学学�出版会 。 15) 田中正大(1987) 。��正一と明治の庭園 。�園の歴史と文�:�賢堂,143-167 。

16) 土屋和男(2006) 。『東都茶会記』に見られる�代数寄者の住宅の�在と立地 。日本建築学会計画系論文

集,601,191-197 。

また、図1において江戶の朱引外(江戶の都市外)に位置するものに注目すると、特に

④と⑤のエリアに集中していることが分かる。これらは�て�代に新たに作られた邸宅庭 園由来であり、立地する地形に注目すると、崖線型10事例、�地型-台地上6事例となって いる。�代東京の邸宅庭園の立地について、十代田・安島・武井は20世紀突入以降、健康

志向による東京西郊への別荘立地が�んでいったことを指摘しており、17)これらの対象も

この潮流に位置づけられるものと考えられ、今後文献�料とも合わせてさらなる分析をし ていく必要がある。

 一方で、図1の①のエリアにおいて江戶川沿いに位置する山本亭庭園や②のエリアに おいて不�池沿いに位置する横山大観記念館庭園は共に低地の水辺に位置し、現存する�

代に新たに作られた邸宅庭園の中でも貴重な例と言える。

Ⅳ. 20世紀を中心とした庭園の継承��

続いて、前世紀である20世紀を中心に現代に至るまでの庭園の継承��を明らかにする ことを試みた。継承��を細かく�うことが可能な文献がある研究対象の庭園は限られて いるため、本稿では以下の6つの年代別地形図を使用して�った。

・ 明治前期(1883-1884年測量):参謀本部陸軍部測量局『五千分一東京図測量原図』18)(こ の地形図の範囲外の対象については参謀本部陸軍部測量局『第一軍管区地方2万分1

��測図原図』19)を使用)

・ 明治後期(1909年測量):日本帝国陸地測量部『1万分1地形図』20)

・大正震災直前期(1921年測量):日本帝国陸地測量部『1万分1地形図』21)

・昭和戦前期(1937年測量):日本帝国陸地測量部『1万分1地形図』 22)

17) 十代田�・安島�幸・武井裕之(1992) 。戦前の武蔵野における別荘の立地とその成立背景に関する研究 。

�園雑誌,55(5),373-378 。

18) 参謀本部陸軍部測量局(1886) 。五千分一東京図測量原図 。国土地理院 。

19) 参謀本部陸軍部測量局(1880) 。第一軍管区地方2万分1��測図原図 。国土地理院 。 20) 日本帝国陸地測量部(1910) 。1万分1地形図 。国土地理院 。

21) 日本帝国陸地測量部(1923) 。1万分1地形図 。国土地理院 。

・昭和戦後期(1955年測量):日本帝国陸地測量部『1万分1地形図』 23)

・バブル期(1988年測量):日本帝国陸地測量部『1万分1地形図』 24)

図1の④や⑤のエリアに含まれる研究対象の多くは、これらの地形図の内のいくつかの 収録範囲に含まれていない。また、�代に新たに作られた邸宅庭園は、大名庭園を代表と する江戶武家屋�の庭園に比べると規模の小さい庭園も多いため、江戶武家地に重なる庭 園に比べ地形図から把握できる庭園の�報が少ない。そのため、現存する庭園の痕跡の位 置を参考に庭園のスペースの存在は確�できても、池や築山といった庭園の主要�成要素 を確�できないものが多かった。しかし、研究対象の中で�代に新たに作られた庭園の現 存状態に注目すると、概ね庭園としての様相を維持した状態で残存しており、これらに関 しては庭園が作られてから庭園の維持を揺るがすような大きな変�を経ることなく継承さ れていったと考えられる。

したがって、本稿では江戶武家地由来の研究対象のみ継承��を�った。なお、江戶 武家地由来の庭園は�代に新たに作られた庭園に比べ規模が大きく、使用した地形図でも その状況の変�を読み取ることができる部分が多いため、この方法が有効であると�断し た。

継承��は、以下の2点に注目してその変�を�い、事例を図2に示した。

・ 各地形図において、研究対象である庭園�び庭園の痕跡が現在立地する地点またはそ の付�における庭園の設え(庭園の主要�成要素である池・築山・緑地)の有無

・ 各地形図において、研究対象である庭園�び庭園の痕跡が現在立地する地点(庭園の 設えが確�できた場合は庭園�体)の土地利用

以上の方法で、現代に至るまでの継承��の中で庭園に変�が見られた20事例の

み、その結果を表4に示した。さらにこれらを分析した結果、以下のように多様な変

�の要因があったことが分かった。

・ 明治期に邸宅庭園として継承されていた11事例、明治期に軍用施設または学校施設と いった比較的規模の大きい施設に転換されていた8事例に大きく分類できることが分 かった(20事例中、1事例の土地利用は不明)。前者のように継承��で変�を経た 庭園についても、やはり現在東京に残存する大部分の庭園と同様に庭園として継承さ れたものであったことが分かった。一方で、後者は恐らく武家屋�の空間としての広 さを目的として転換されたものと考えられ、明治期に用�を転換された庭園のほとん どが軍用施設または学校施設であったことが分かった。

23) 日本帝国陸地測量部(1959) 。1万分1地形図 。国土地理院 。 24) 日本帝国陸地測量部(1989) 。1万分1地形図 。国土地理院 。

・ 庭園の縮小や�失、形状変�が行われた年代について、明治16-17(1883-1884)年から 明治42(1909)年の間に行われたものが9事例、明治42(1909)年から大正10(1921)年の間 に行われたものが2事例、大正10(1921)年から昭和12(1937)年の間に行われたものが14 事例、昭和12(1937)年から昭和30(1955)年の間に行われたものが7事例、昭和30(1955) 年から昭和63(1988)年の間に行われたものが9事例であることが分かった。最も多かっ た大正10(1921)年から昭和12(1937)年の庭園の縮小や形状変�は、大正12(1923)年の関 東大震災が原因と考えられる。そして、二番目に多かったのは明治16-17(1883-1884) 年から明治42(1909)年と昭和30(1955)年から昭和63(1988)年であることが分かった。そ の内、明治16-17(1883-1884)年から明治42(1909)年において変�が行われたのが軍用施 設や学校施設といった邸宅庭園として継承された以外の事例に集中していることか ら、この期間は20世紀の中でも特に庭園としての土地利用方法から別の利用方法へと 転換されていく�渡期であったと考えられる。昭和30(1955)年から昭和63(1988)年つ いては、邸宅庭園とした継承されてきた庭園も含めた多くの事例で住宅地やその他施 設のために庭園の�地の分�が�められていたことが読み取れ、この期間の都市�に よる影�が継承された庭園にとっても大きかったことが指摘でき言えよう。

・ 立地形態に注目すると、20事例の内、16事例が崖線型である。このことから庭園が変

�を受けながらも後の時代に継承されていった要因として、地形が大きく関係してい たことが推察できる。

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