:::: 東東東東 をめぐるをめぐるをめぐるをめぐる岡岡岡岡 大 克大 克大 克大 克礼礼礼礼
久 *
岡
機 としてのアジア 可能 アジアの の発
コスモポリタニズムと
に する の み
「 」 拠 様
の 大 克
礼
系期 課の 系の の
の
結 近代 の の の 学
今 大
の の のテ マは「 」であるので これに、 する
国 学 学会 会
究 加
について、 として の 学研 の歴 に して検 を えたい。「 」に
( ) 多 究
ついてはアリストテレスの『 学』 来 くの が し とりわけフ、
( )
究 九 年 降 近代 リ ドリヒ シュレ ゲルの ギリシア「 学研 」 、 な
高
としての「 」に する対 が まったが、「 」を な として
* Tanehisa Otabe, Professor of Tokoy University
( )
扱った の はロ ゼンクランツの『 の 学』 年である この。
念 念 稽 念
においてロ ゼンクランツは「 の概 は、 それ の概 と の概 との 間にあって、 間をなす」1)、と しているが このことが すように、 、
念 係 見
な 概 の のうちに「 」を づけることがロ ゼンクランツの であった。
念 係
な 概 の を う は に「 」と ばれている。
究 傾
という 称は の 学研 において いられなくなる にあるが2)、 多大
においてなおこの は の を っているように われる はたして。 念
においてこの がなお されているか か は らないが、 においてこ
国 概
念 今 大
の概 が にいたるまで いられている きな の つは おそらく、 、
( )
紀 を代 する の 学 大 克礼 ― 九 年が の構 に を いたことにある と われる、 。
九 紀 から 紀 にいたるまで、 の 学研究 は、 で 近代の 学 の摂 に め努 から「 」の 念 導を しつつも こうした、
( )
念によっては えられない あるいは えにくい を の さらに
「 」概 、
東 見
は の伝 のうちに し それを、 しようと みた もしも。 大
という を が いたような い においてではなく な
「 」 狭 、
いし にかかわる という い広 において いるとするなら 期
ば、 はこの の における 学 の の つでありつづけ
( )
近代
たといってよい。 の 学 が み した 広 における は、 東 の 会いが み した間 である。 は今 の 告への応答として、
究 近代 過
の から、 における の について ぶことができると
国 研 国 学 学
期待している。 国における近代 学の 過 と におけるそれとの は、 近代
それぞれの の国 が伝 に して あるいは対 、 に して った対 対応の いに
1) Karl Rosenkranz, Ästhetik des Häßlichen, 2., überarbeitete Aufl., Leipzig: Reklam Verlag 1996, S. 49.
2) たとえば Henckman, Lexikon der Ästhetik(1992) にはなお 「 」 の がある が、Ästhetische Grundbegriffe(2000-2005) および Metzler Lexikon Ästhetik(2006)
にはこの は しない。
するものであろう。
来
( )( ) (
岡 九 年 九 九
では ― 、 ―
)
年、大 克礼という近代 を代 する の 家を り げる。岡 は東京
( ) (
大学 官 として東京 学校 の東京 大学の や 国 館 )
東京 館 寄 東京 校 校
の 国 の の に 与し 学 の を めたが その、 九 年に に り、 を し、同 にボストン 館 国 を
岡 級
めた である。 を した は当 の の国 であった。
( )
東 九 年 東京 校 東京大
の による『 の 』 および 学 と 学における
( )
講 九 九 年 九 年
に する の ― 、 は の による
東 東京大 岡 講 東巧
の の みの つである。 は 学における の 「 ( 九 年)に感 を け 九 年代から 年代にかけてはとりわけ
」 、
( 年代
の で した としての の は
、 学
)
降である。 、 に 年 れて東京大学に 学した大 は 学 の研究
年 懇
として 発したが、 には とともにベルリンに 学するなど とも
年代 大
にしていた。狭 における「 」をめぐる の の 学
決 考
は との対 を むものであったと えられる このように。 、 はそれぞ 近代
れ独 の で したが しかし、 、 の 学 を としつつそれとの 決において ないし東 な を しようとする において、
対
共 間
は する を している。 の の検 をとおして 学における
光 見
に を てることが当 の である。
岡岡岡 岡
岡 は 九 年から九 年にかけて東京 学校において「 」と
( )
講 記 公刊
を したが その が されている この
「 」 、 「 」
講
は ではじめて された とみなされている その。 、 の
( ) (
東 の 九 年および東京大 における講 東巧 九
『 』 学 「 」
)
年において、 は らの を 開している。 では、岡 の の構 基
を える 徴を らかにしておきたい3)。 機
機 機
機 としてのとしてのとしてのアジアとしてのアジアアジアアジア
岡 が の を じる の 徴は それを、 独 したものとして わず つ扱 、 係
ねに 国およびインドの との において えるところにある たとえば。 、 ( )
東 の では の が な さ ロマン さ
『 』 、「 」 「 単 、
(that tender simplicity, that romantic purity) によって」 、「 国の 」 「が 単 (monotonous breadth) 過度
な がり拡 」によって、「インドの 」 「が の 穣さ (overburdened richness) によって」 徴づけられている4)。 、 での
( ) ( )
大 九 年、およびインド 九 年― 年の がこうした 国
記 に かされていることは間 いない。
界
インド、 国、 の 国によって を える というのは、 の伝
界 界 基 界
な でもある この。 は、「 」 に づく「 国 」に 来 紀頃
する。「 」 とは インドにおいて した であり それは、 、 (
南 大 角 東 端
を にその にインド が に がり その広 、 には
)が その、 端には (ペルシア が) する というインド、 な 界 国
である これが。 仏教とともに 国 伝来に し さらに、 に わった伝 。 では、
界 落
の には まれていたペルシアが し インドと、 にさらに
来 国 国
加 界 代 考 界
を えた 国によって を させる えが じ これが、 伝 な の 規
を した5)。
3) 岡 の 『 東 の 』 からの は Okakura Kakuzo, Collected English Writings, vol. 1, Tokyo: Heibonsha, 1984 により 、「 」 および 「 東巧 」 講 か
)
年 岡
らの は 『 』( ライブラリ 、 による なお 。 、
(
基 宏 岡 竟
に する 献 としては 、 『 - ニ ズレバ ニ シ 』 ミネル
) 年
ヴァ 、 がまず 参 されるべきであろう 。
4) Okakura Kakuzo, op. cit., p. 21.
5) この については 稿 “Wie wurden „Europa“ und „Asien“ in der modernen Ästhetik aufgefasst? Fr. Schlegel und Kakuzo (Tenshin) Okakura”(『
, - )
究 』 、 國 、 年 。
研 収 参
( )
界 岡 東
この伝 な と べるとき、 の アジア は、 国 単 併を に 機
させるのではなく むしろアジアそれ、 が「 な ける 」であり、 (a 個
その の はその の に しつつ が の な
「 、 単
single complex life)を づいている」6)ことを す に 徴があることがわかる。
多
すなわち、 国の をその 様 と とに して、 すれば のう 岡
ちに えるのが の である。
可能 可能 可能 可能 アジア
アジア アジア
アジアのののの のののの発発発発
具 岡 岡
そして この、 を するために、 は な歴 を とした。
九 年 講
は、 に の を うに たり当 の を ぶために学 、
( 年 公刊 年刊)
としてリュプケの『 』 は に 、 は と
( 年刊)
ヘ ゲルの『 学』ボザンキットによる の 、 を参 した。 岡 が両 から歴 を きく つの大 段階に ける を び学 7)、 に っ
(
古代 近 同
て を を けた この。 は かな において があ
) 岡 貫 岡 東
るものの、その の の歴 に して められるものであり、 は『
段階 古
の 』においてこの つの をヘ ゲルに って「 徴 ロマン 過去 段階
と んでもいる の の を するためにヨ ロッパの
」 。「 発 区 学
古
が んで いる〔 徴 ロマン という〕 つの は おそらく、 基 さに けてはいるが、 な真 を している というのも。 、 と 歩の
根 個 家
は に単 の にあるのみならず、 の やその の と 根
の にもあるからである」8)。 古代
ヘ ゲルにおいてアジアの は ギリシアに つ「 徴 」 の
6) Okakura Kakuzo, op. cit., p. 11.
7) リュプケと 岡 との 係 については 、 「 岡 の 『 講 』 の 検
, 大 究 九 ( 九 年 ), 106-128
」 『 学 研 』 号 参 。
8) Okakura Kakuzo, op. cit., p. 93. 岡 は 同 に 、「 はいかなる 代 にあっても (p. 16)
年代 刀 寄 代 界
であり 、 学 の を せ けない 」 、 と べて な 区 の
岡 代
を するが 、 がこのように べるのは 、 区 の みがかえって 歴 の 発 を 考
え なう を んでいる と えるからである 、 。
段階に するものとされていた すなわち アジアの属 。 、 に歴 発 を めると 古
いう はヘ ゲルにはそもそも しない。「 徴 ― ― 徴 」という は ヘ ゲルにとって ヨ ロッパにおける、 、 の を すものである
図 歴 9)。
念
マルクスの アジア「 様 」という概 もまた こうしたアジア を、 とし
岡 古代 近代
ている さらに。 、 が参 したリュプケの『 』 、も の 東 古代
を じるに って、 「 の 」においてエジプト アジ
東 東 開
ア アジア アジアの について じているが、「 は の真 内 、な
極 到達
いし な歴 に しえなかった」10)とみなすリュプケは 東 を歴 に 扱
するものとして っている
属 11)。これに して対 、岡 はアジアの のうちに の に する歴 発 を めることによって、 滞するアジアという か
岡
らアジアを しようとしたのである。 の はヘ ゲル 歴 図 に 拠し つつも それが、 としている を することによって ヘ ゲル、
を するものといえよう。
歴 対
多 具 岡 考 九 九 年
ここで に の えに れておきたい。 ― の「
( ) ( )
講 において岡 は を奈 代 古代 代 代
」 、 、
(近 )の つの段階に けている――それは 国 に対応させるならば、 唐 の つの 代に なる が この 代 は に導 された
、 、 ―― 、 区 仏教
9) ヘ ゲルの 「 徴 」 に しては 、 Jeong-Im Kwon, Hegels Bestimmung der Kunst. Die Bedeutung der „symbolischen Kunstform“ in Hegels Ästhetik, München 2001, bes. S. 70-75 参 。
10) Wilhelm Lübke, History of Art, translated by F. E. Bunnett, vol. 1, Third Edition, London 1874, p. 94. リュプケは 「 古代 」 ( すなわちギリシア ロ マ ) を
大 踏
じるに たって 当 、 のように べている 。「 ヨ ロッパ に 歩 み れるや わ 、
動 界 界
れわれは と き きした 歴 に ちた 満 に 会 うことになる この 。 (p. 94)
家 感 得
においてはわれわれはただちに にいるかのような を る 」 。 つまり 、 狭
大 家
における 「 」 「 は ヨ ロッパ 」 という 〈 〉 においてのみ り つのであ る。
11) さらには 、 年代 に では 沢 吉 によって ヨ ロッパではヴィ ンの 、 学 同 ロ レンツ フォン シュタインによって えられたいわゆる 〈 亜 〉 も 、 の
( )
基 究 年
アジア に づくといえよう シュタインの 。 「 国 および の 研 」 , Jurisprudentia 較 究 ( 九九 年 )
に しては、 『 国 研 』 号 参 。
( )
基 奈 代 界 界
の に づく。 のいわゆる「 乗仏教」 仏教 が「 と仏 とは 近からざるもの とみなし そのために」 、 「仏 」 「を 間 の高尚のもの とし」
代 間
たのに し対 、 の「 教」 「は 仏の は からざるもの とみなし それ」 、 間
ゆえに「 」 「仏 を の 」ある に った12)。そして、 代に えた栄 「禅
( 開 )
は ら りを くこと を するゆえに もまた を
」 「 」 、 「
する
」 13)。こうした えが ヘ ゲルの考 、 「 徴 ―古 ―ロマン 」 (
規 見 間
の と対応することは して らかであろう実 、 対 がなお を
段階 間
る の が 徴 であるのに し対 、 対 が を るのが 古 である このように。 古 において内 な と な
段階
は つとなるが、内 な が な と していた を え てより
求 基
い 内 を めるときにロマン が する こうした。 図
) 岡 紀 代
がヘ ゲルの を えている。そして、 によれば、 はじめの
代 段階 今
もなお に まったこの の のうちにある。 われわれはしばしば
建 近代 見 見
のうちに から への を るが こうした、 は 沢の〈 岡
と を つとはいえ の めるものではありえない
〉 、 。
亜
岡 段階
なお ここで、 すべきは、 がこの つの をそれぞれ「壮 」「
高淡 という つの 念によって づけていることである
」「 」 概 徴 14)。「壮 」と
間 高 間 感
は を え た の さを、「 」とは に ちた満 状 を 高淡
する。「 」とは に いられる ではないが、 が を して し 念
た状 を し すのであろう この つの。 概 は、広 における「 」の 岡
といってよい この。 において、 のこうした はいわゆる の けということができる。
( )
岡 の の独 は、 ないし東 の のうちにヘ ゲル の たな歴 開
を み れて、 の歴 を づけようとした にある。
12) 岡 、 掲 、 。
13) 同 、 。
14) 同 、 。
( )
貢 期 代 古 九 九年
ここでは の 学 の 献を、 の 『 礼』 、
究 踏 東
がヴェルフリン ヴォリンガ の、 学 の研 を まえて した 「 ( 九 年 年刊)
の『様 』について」 、 、および の の 徴
( )
見 九 年
を「 の 」のうちに る 「 」 に して検 す る15)。
コスモポリタニズム コスモポリタニズム コスモポリタニズム コスモポリタニズムとととと
古 は 九 年 の奈 をもとに かれたエッセ であ
『 礼』 、
見 り、仏教 を「 教」から独 の「 」ないし「 」として める に
古
を めた広 である。「 が 礼しようとするのは に してであって対 、 救 の済 仏 対に してではない」16)。この は が く で 会った に
都度 記 感 考 系
されてその の き した からなり、 ずしもそれらの は に 発
大 見 考
み てられているわけではない だが。 、 きく るならば、 の を えて いるのは の つの であると われる。
古代 古代 共
は、 と ギリシアの を強 するコスモポリタニズム である たとえば。 は、 画をアジャンタ 画と べつつ、 のように
女 刻
べている。「ギリシア はいかに の を しても いのちの しさ、 に は なかった それに べてインド の。 は らかに であった この つの。
15) からの は による なお 。 、『 古 礼 』 に しては 九 九年 の
箇 記 基
から し 、 で 対応 する を 併 する 。 に する な 献 として - (
近代 九 年 庫 九九
は 、 浅 『 - 学 の 』 、 ちくま 学 、
) “Die Entdeckung des „Japanischen“
年 がある 。 に する の 見 については 、
beim frühen Tetsurô Watsuji. Zur Hermeneutik der Kultur”, In: Jahrbuch für asiatische Philosophie, Bd. 1, 2006, S. 101-132 参 。
16) , 『 古 礼 』 , , 九 九年 , 。 この 箇 は 戦 の では 、 ( ) ( ,
われわれが しようとするのは に してであって
「 礼 『 』 対 … 」 『
, 九 年 , ) と き され が 括
』、 巻 、 、「 」
きにされ 、 の 図 がさらに 強 されている 。
東 落
の じた が に したとき、 をふり として を かせたと 気
いうことは それが、 礼 の伝 に するものである り ギリシア、 の 見
だとも られる それを。 がやったか シナ がやったか あるいは、 、
恐 共 東
がやったか、―― らく にであろう そうして。 に るほどそれが来 強く 古 なわれたのであろう その。 でこの は画 の を、―― に 仏 清の を していた の を、 わしているのであろう」
浄 17)。すなわち、古代ギ
リシアの は いったんインドに って、 「 」18)ともいえるほどの官能
結 東 官能
な と びついたが インドから に るにつれてこうした、 をふる
落 極東
い とし、 び にいたって に れ た というのである つまり この、 。 、
( )
極東
の に えば ギリシアは従 、 とりわけ において に されること
( )
具 古 代 紀 羅
になる。 は に、 ― ――これは が
代
を し えた栄 に 当する――の を の として 価する と。
代 界
いうのも、 に えば この従 、 においてこそ「 」19)によって極東 の が 国から を てギリシアにまでつながっていたからである。
そして、 はそれ の をこの からの 廃 歴の として き す。「
幾度
の は か と と とを たにしても とにかく、 い をし
欧 強
古
た。 は を かし きものは しきものを かした そこには。 の があっ
東 健 過去 大
た しかし。 の には やかな の が められない。 が であった だけに に るものの が い」来 20)。
古代東 の は、 の と に しているとはいえ むしろ、 と 古代ギリシアの を強 するものである。厳 にはこの つの は共 しえな いはずであるが、 はこの について ではなかったように われる。
極東 踏
は におけるギリシアの を まえつつ、 ―― にとっ
古代 高傑 期 刻
てこの は の の つである―― 「と の 教 や
17) 『 古 礼 』 。 cf. II, 176-177.
18) 同 、 。 cf. II, 176.
19)『 』 巻 。
20) 同 、 巻 九 。
刻 較
ギリシアの 」とを のように する。「 は…… つの なった
驚 間
の があることに かされるのです。 ち の から を り した ギリシ〔
間 東
ア 〕 と、 を の の に われしめた内 〔 〕 とです。 に て
家 家 兼 家 家 兼
は が 教 を ねる。 に ては 教 が を ねる。 は の
端 見 間 得 間 具
しさの に を る。 は の に した を、 の に 達
しようとする。 は写実から 発して に し、 は から 発して写実 を するのです」21)。すなわち、 はギリシアと極東の の に間 で
見 根
を強 するとともに、 では両 に られる な をも する すな。 東
わち ギリシア、 が「写実」から「 」へといたるのに し対 、 の は 間 見 から にいたる という の を は の に す
「 」 「写実」 、 両 。
古
なるほど、 の仏 は その、 に する りギリシア を 念
つにもかかわらず しかし、 、仏教の を としている において ギリシア、
根 九 年
からその において区 されることになる この。 の は、
同年 年公刊 東
の 「 の様 」、および の 「 の『様
について において に されることになるが この については
』 」 、
に することにしよう。
係
の は と との にかかわる。 の は、 で 東 の を強 する を み すとともに、 で東 の を たせる
箇 古代 古代
をも み す その。 な を しよう。 は と ギリシ 極 アの の を、「気 や や に いて、…… とギリシアとは め
近 求
て している という に めた で」 、 のように ける。「シナやインドの 己 空
に べて、 は かに であった しかし を しゅうして。 につと 独
間 格
めている にも その、 独 な は われぬわけには かなかった もし。 の
甘 同
が、 な、 に ちた 気 を 徴とするならば、 にまたそれを
見 古 記
の気 の と ることも 来よう。『 』の える伝 の しさも、 宮 に われた や も、恐らくこの の であろう そこには。 に がある その があらゆる涙 。 涙 歓楽にたましいの を えずにはいない与 」22)。こ
21) 古 『 礼 』 、『 』 巻 。
こで は とギリシアの を しつつも、 の はいつしか の の の強 へと っている。 の の独 を えるものとして
( )
年 間 考 九 年
の に する は、 の 『 ―― 学 』
結 間 考
に 実することになる ちなみに。 『 ―― 学 』において は
激 規
の「 の 」を な から しめやかな「 」と するが23)、すで 古
に が『 礼』において「 の 」 「を の れとしめやかな 」 によって 徴づけていることをここで しておこう24)。「しめやか とは」 が とりわけ んで いる であるが これは、 の である。
( )
宮
なお ここで、 が の はそれを と んでいるが につ ( いて「 」という を いていることに したい。 のように、 悦
) ( )
九― 九 年はその 『 とその 』 九 年において、「 の
としての の の としての の との
」 「 国 」、「 」 「 」 対
見
において、「 の 」の 徴を「 の 」のうちに した25)。同じく「 という を いても の と なって はそこに
」 、 叙
九 年頃
いを めている こうした いがあるにせよ。 、 の の 学 を 鍵
き かす で「 」という が つの となりうることはたしかであろう とり。
同 九年 東京大 同 期
わけ と は じく まれであり、 学 学 で じ に
( 九 年) 東 大 同 勤
び ― 、さらに において の として していた
学 学 教
22) 古 『 礼 』 ― 、『 』 巻 。
23)『 』 巻 。
24) 古 『 礼 』 、『 』 巻 九 。
25) 『 悦 』、 巻 九 - 九 。 が 「 」 という を の に いたの ( 九 年 )
は おそらく 、 「 の に る 」 の 「 な 」 という が であ
( 同 ) ( 九 年 )
ろう 、 。 その 、「 の 」 において は 、 国 および
( 九 ) ( 九 ) 規
の との 対 において の を 「 の 」 「 の 」 と
那炅 工
している 。「 の 」 に しては 、 『 悦 の 学 における と 会 (
動 見 に られる に する 究 東京大 大 系 究科
- 『 』 研 -』 学 学 会 研
) - 突
ライブラリ 、 、 および 「 の - 国 と
(
工 較 工 考 京 閣
の に けて 」 稲 『 伝 - のうちそと 』 、
- )
年、 収参 。
( 九 年)( 大 九 年 東 こともあった ― ちなみに、 する もまた
)
大学教 を めていた勤 。 き にはウィリアム ブレイクに共感し、 年代
東 開 共
に に した でも、両 は している それにもかかわらず。 、両
間 係 今 究
の の は の る り しない。 の の については の研 課
の となろう。
に する の み に する の み に する の み に する の み
「 」
「 」
「 」
「 」 拠拠拠拠 様様様様
古 は の 感 基に づく であるが この を公刊の
『 礼』 、
( )
格 究
は に 学 研の に わる その つのきっかけは。 、 杢
( )
介 九 九 年
を して ったクルト グラ ザ ― の である。 は ( 九 年 )にグラ ザ の ヨ ロッパに ける東 究の
『 』 号 「 研
課 と 」26)というエッセ を しているが そのほぼ、 に られる の見
課 根 念
は の とみなしてもよい。「 で している 学 概 」を 東 という の でためして ることは まさに見 の も
「 、 学
多 課 課 東
な また も く するところのあるべき、 の つである この。 は の 念 系
を でためされた概 の に に し れようというのではない。
系 東 系
むしろこの を拡 し、 の の からこの の に つ概 念 導を き し そうしてそこに られたより い、 得 広 根 のうえに、 界 に し対
件 得 共 見
て な与 を え べき与 の を そうと うのである」27)。グ (
基 念
ラ ザ の に された は ヴェルフリンの、 『 の 概 』 、
) ( )
九 年およびヴォリンガ の ゴシックの『 』 九 年と対決し、
26) グラ ザ には “Aufgabe und Methode europäischer Forschung im Bereich östlicher Kunst”, in: Cicerone XV. 6(29. 3. 1923), S. 245-247 と する 考 があるが 、 の
考 同
したものはこの と なるところを つとはいえ ではない おそらくグ 。
ラ ザ 、 らがすでに 発 した を けに き し それを 、 杢
渡
に したものと われる。
27) クルト グラ ゼル , 「 ヨ ロッパに ける 東 研 究 課 の と 」 『 , 』 ( 九 )
年 号 、 。 なお 、 が 「 共 の け 」 と した 箇 は 掲 の gemeinsamer Nenner
ドイツ の では とある これは 。 の であるので 、
加
を えておく。
( )
果 東 九 年 年刊
その として「 の『様 』について」 、 を す。
基 念
ヴェルフリンの『 の 概 』 、は のとおり、「 の
(das Sehen)の発達 」 「を 古 様 」から バロック「 様 」への変 に して ら かにしようとした である28)。そして ヴェルフリンは、 同 への にお
根 念
いて、 が するように、「この〔 の 〕概 の づけは ヨ ロッ〔
近 期 改
パ〕 における発 にのみあてはまる。 の に してはそれは に しく対 及 古代
されなくてはならない しかもこの。 図 は び の にま 得
でも せられ ることを しているのである」、と べている29)。すなわち、 (
基 念 近
ヴェルフリンは、 らの する「 の 概 」がヨ ロッパ すなわち )
紀 の のみに 当するのではなく、 を むその の 代 の にも 当しうるある の を っている と、 する。 はこの
念 東 得
に 発されて、「 〔ヴェルフリン の〕 様 の概 がそのまま に 当し るや や と う」 30)。そして は ヴェルフリンの、 「基 概念」 「は 東 の
においてはギリシアの の めらるる り」 するが、「この が
囲 当
となるに ってあてはまらなくなる」従 31)、という に する その。 は か ヴェルフリンは。 「 」それ が「歴 発 」を すると する