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洪浩然の人生を想う旅

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Academic year: 2022

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洪浩然の人生を想う旅

遠藤 成美

韓国の歴史ドラマを見るのが好きな私は、韓国の歴史についても興味を持ち、本を読んだり自分でノート を作ったりしています。最近読んだ本の中で少し紹介されていた洪浩然という人物のことが気になっていた ので、この機会に「洪浩然の人生を想う旅」をしてみることにしました。

ひとり旅ではなく、主人や小学2年生と5年生の息子も巻き添え・・・いえ、同伴での旅なので、家族が楽 しめなくてはいけません。おいしい食事処、源泉かけ流し温泉の立ち寄り湯など、「お・も・て・な・し」

も盛りこまれた私の旅行記に最後までお付き合いいただけたら光栄です。

洪浩然という人の名前には、なんとなく聞き覚えがありました。それは多分私が過去に書道をしていたた めでしょうが、“こぶ浩然”という言葉の響きも懐かしく感じました。ですが、その人が豊臣秀吉朝鮮出兵の 際に、朝鮮から日本に連れてこられたということや、鍋島の殿様の家臣だったということは全く知りません でした。私は佐賀県出身なので、ますます洪浩然が身近に感じられ興味が湧きます。

そこで、福岡から三瀬峠を越えて佐賀へ、主人の運転で出発です。

最初に訪ねた洪浩然縁の場所は、『徳善院』というお寺です。ここはカーナビに案内され、佐賀市加瀬町 の田んぼをつっきる道を走ると着きました。「さすが、佐賀だなぁ・・・」と地元愛を感じずにはいられま せん。そんな風景にぽつんと石造りの鳥居が佇む徳善院ですが、江戸時代には鍋島藩に熱く保護され、多く の宿坊も並ぶほど栄えていたということです。その鳥居に彫られている文字が洪浩然の書体で、まさしく文 字の書き始めと止めの部分が三角ばっていて、瘤のようでした。この字から洪浩然の人柄を想像してみると、

“実直、決断力、内面の強さ”が浮かび上がってきます。それは、やはり洪浩然の生き方と重なるのでした。

次に、より洪浩然に縁の深い『阿弥陀寺』へ向かうことにしました。徳善院からそう離れていない木原と いうところにあり、こちらは住宅地にある浄土宗のお寺でした。ここに、洪浩然が眠っているのです。

洪浩然は、1593年、文禄の役で佐賀の鍋島軍が晋州城を攻めた時、付近の山の洞窟の中で大きな筆を背負 っていたところを捕えられたそうで、当時12歳でした。その姿を見た鍋島直茂が、利発そうな子供だと思い 連れていき、家臣として重用したということです。一見奇妙に思えるこのエピソードに私は興味を持ちまし た。戦の折、陶工などの技術者や学識者は殺されず日本へ連行されていることを洪浩然の親も当然知ってい たでしょう。洪浩然の父親や母親は危険が迫ったとき、息子に生き延びてほしいと、目立つように一番大き な筆を洪浩然の身体にくくりつけたのではないか?などと、私が憶測してしまうのは韓国ドラマの見過ぎで しょうか?

ともかくそのようにして日本へ連れてこられた後は、京都五山で修学し、鍋島直茂の家臣であり学者・書 家として活躍したそうです。直茂没後は子の勝茂(初代佐賀藩主)に仕えていましたが、晩年帰国を申し出、

許されて唐津まで行ったところを呼び戻されて、帰郷を断念したというのです。その時の落胆と諦念はいか ばかりだったでしょう。命令に従い佐賀に戻った浩然の心情や行動を想うと、私の“こぶ浩然占い“に、”人間

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2 としての重み、思考の深み”を加えなくてはなりません。

こうなると、洪浩然の他の書もたくさん見たくなりました。そこで、どうすれば見られるのか、もっと洪 浩然を詳しく知ることのできる資料はないかと思い『佐賀市立図書館』へ行くことにしました。

前後しましたが、旅に食事はつきものです。実は、佐賀市に到着したのがちょうどお昼時だったので、ま ず腹ごしらえをしたのでした。

食べ物が旅の成功を左右させるといっても過言ではありません(少なくともわが家の場合は)。そこで、

出発前にインターネットで調べておいた『与ん館』という佐賀県民が大好きな(?)方言ダジャレの名前のレ ストランへ入りました。洗練された大きなレストランですが、JAさがの直営店であるため佐賀牛が破格で 食べられるのです。例えば佐賀牛ハンバーグ定食500円(限定数)というふうに。これは入口に、さすが

「販売終了」と表示されていましたが、席が空くのを待つことにしました。15分ほど待ち、席について注文 すると料理がすぐ運ばれてきました。注文したのはステーキ定食。まずレア(主人と息子二人)、そしてミ ディアム(私)。思わず凝視してしまうほど肉が大きくて分厚い!これが1000円だなんて(土日以外は158 0円)本当に驚きました。息子たちも赤い肉をおいしそうにほおばって「大満足」の笑顔でした。

歴史や文化にも親しむようにと、よくお寺などに連れて行くのですが、それには本当に食べ物が重要なの です!

話は戻って、佐賀市立図書館へ行き、私は郷土資料コーナーで洪浩然についてたずね、その間子どもたち は児童文学コーナーで好きな本を読んでいました。

司書の方は洪浩然についてはご存じなかったようですが、すばやく資料を探して下さり、こちらが聞いた ことだけではなく、学習者のお手伝いのプロとしてたくさんの情報を提供し知恵を貸して下さいました。

おかげで、名護屋城博物館研究紀要の三冊にある、洪浩然についての調査資料や文献をコピーしじっくり と読むことができました。それらは、洪浩然の人生を想うことにとても役立ちました。

さて、洪浩然は朝鮮への帰郷がかなわず佐賀へ戻った後はどうなったのでしょうか。78歳で鍋島勝茂が江 戸で逝去したとの知らせが届くや、追い腹を決めました。そして、「忍則ち心の宝 忍ばざるは身の 殃わざわい」 という遺書を子供に与えて切腹するために向かったのが阿弥陀寺なのだそうです。阿弥陀寺の門の傍に、洪 浩然の墓という由緒の案内板があったので、数多くの墓石を確認していくと「雲海」という文字が傾きかけ た太陽に照らされてくっきりと私の眼に映りました。法名『雲海浩然居士』。雲海が洪浩然のもう一つの名 前だということはわかっていたので(雲海の方が本名)、浩然が眠っている場所に出会え嬉しく思いました。

それから脇にある洪浩然の墓というサインに気づいたのですが、錆びていて字も消えかけ、わかりづらか ったのです。それはそれで、悪くないような気もしますが。

いったい日本人でもないのに、なぜ日本の風習である追い腹を切って主君の後を追ったのか・・・。これ には様々な解釈があるようですが、12歳から76歳という64年間を日本という異国、しかも敵国で送った洪浩 然にしかわからない思いがあったでしょう。

私は、連れてこられた洪浩然が長い年月を日本で、佐賀で過ごした・ ・ ・ ・とは思いたくありません。佐賀で生き・ ・、 暮らした・ ・ ・ ・のだと思いたいのです。

少年期に閉ざされてしまった将来の夢、晩年に果たせなかった願いはあったとしても、自分の置かれた環

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境で、自分をこよなく信頼してくれる君主にめぐりあい応えることのできた人生は、決して単に不本意に 過ごした・ ・ ・ ・のではないはずです。

洪浩然の人生の足跡をこれで辿れたとは思いませんでしたが、日も暮れたので佐賀市をあとにすることに しました。途中、神埼郡吉野ヶ里町で『山茶花の湯』という佐賀平野を一望できる温泉に立ち寄って、運転 手を務めてくれた主人を慰労し帰途につきました。

「名護屋城博物館研究紀要」の中に、洪浩然から数えて12代目にあたる洪悦郎氏が、多くの遺品などを佐 賀県立名護屋城博物館に寄贈したという記事がありました。前述のように、洪浩然の書をいろいろ見たいと 思ったので電話で学芸課に問い合わせてみました。すると、企画展の時には展示していたけれど常設展示で は人物の紹介コーナーはあるが洪浩然の遺墨はほとんど見ることができないとのことでした。

「ですが、企画展が行われた際の配布パンフレットや図録の作品掲載ページのコピーをお送りすることなら できますが」

と、配慮して下さり早速届けていただいたおかげで、本当にたくさんの遺墨を見ることができました。

それらは、コピーからでも十分に伝わってくるような力強さと存在感。意外なことに草書もたくさんあり、

それは“こぶ浩然”といわれる力強いウチコミやトメの楷書とは反対に、墨が調べとして流れているようなや さしさでした。この二つの異なる書体に共通しているのは「ゆるぎのなさ」だとも思いました。洪浩然のゆ るぎない望郷への想いが、書体にも表れているのでしょうか。

私の「洪浩然の人生を想う旅」旅行記はこれで終わりますが、心の中での「洪浩然の人生を想う旅」はま だまだ続きそうです。

また、名護屋城博物館訪問も第二弾として考え、楽しみにしたいと思います。

今回は、このような機会を与えていただいてありがとうございました。 遠藤成美

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참조

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